パルメニデス(前5世紀)④ 生成の否定

あるものは生成するのか?

あるものが生成するということは、二つのルートが考えられる。

① あらぬものからの生成:あらぬ→ある
② あるものからの生成:ある→ある

まず①について検証する。
前回申し上げた通り、あらぬものとは、私たちの観念をもって思い懐くことすら叶わぬ、絶対的な無である。私たちが思い懐くことの出来る無とは、有の対極としての概念であって、概念として存在するものであるから、厳密には無ではない。本当の無とは、想像し得ないものである。

そのような無、あらぬものから、あるものが存在し得ると理性をもって結論付けることは出来ない。
よって「あらぬ→ある」のルートは否定される。

次に②について検証する。
もしこれが有り得るとするならば、今あるものは、過去にあったものから生成される、そしてその過去にあったものは、更に過去にあったものから生成される・・・
・・・ということが永遠に繰り返されることになる。
そのようなことを理性をもって結論付けることは出来ない。

よって、あるものが生成するということは有り得ない。
つまり、あるものは常に久しく「ある」という結論に落ち着く。
続く。

自己の内的探求を通じて、その成果を少しずつ発信することにより世界の調和に貢献したいと思っております。応援よろしくお願いいたします。