マガジンのカバー画像

仮 後南朝の自天王さん 上北山村編

20
自天王さんとの出会い 今から、何十年前のことだろうか? 当時小学生だった私は、吉野郡上北山村小像(ことち)にある北山宮へ親戚のともだちと遊びにいくところだった。 お盆所はよ…
運営しているクリエイター

#日本の歴史

01 後南朝 自天王さんとの出会い

01 後南朝 自天王さんとの出会い

自天王さんとの出会い

当時小学生だった私は、吉野郡上北山村小像(ことち)にある北山宮へ親戚のともだちと遊びにいくところでした。

その場所の近くには天狗の家もあるそうで、興味津々の私は、その地区の広場で遊んでいました。

まあ、北山宮が、どんな神社であるかは知らないし、

どんな神様がいるかも興味がありませんでした。

しかし、お盆があるたびに、なんとなくきてしまうお宮さんなんです。

いつもく

もっとみる
06 後南朝 二皇子の墓の謎

06 後南朝 二皇子の墓の謎

1、尊秀王(一ノ宮、北山宮)の首、胴体と忠義王(二ノ宮、河野宮)の墓

郷士たちは皇子の首と神璽を取り返し、首は金剛寺に手厚く葬られたと伝えられています。

一部の伝承では、弟忠義王は行き逃れて、高原で死亡したという伝承があります。

しかし1458年、赤松の残党に神璽を奪われ、これによって赤松家はお家再興の悲願を達成します。

このように後醍醐天皇から始まった南朝の血は絶え、南北朝の動乱は終焉を

もっとみる
07 二皇子の菩提寺

07 二皇子の菩提寺

1,一ノ宮 北山宮 尊秀王の菩提寺

南帝山瀧川寺
〒639-3702 奈良県吉野郡上北山村小椽228
位牌あり、尊秀王(一ノ宮、北山宮)が暗殺された12月2日に、宮内庁より職員が来て、毎年、式が行われる。
近隣に、後村上天皇末孫 北山宮墓 宮内庁指定 尊秀王墓がある。

金剛寺 「後南朝菩提所」
〒639-3635 吉野郡川上村神之谷212
宝蔵庫には自天王が御着用していた鎧両袖、胴丸、太刀など

もっとみる
08 川上・上北山陵墓騒動

08 川上・上北山陵墓騒動

1、川上村 金剛寺の不可思議な光景・・3つのモノが語るものは?

南帝自天皇陵

宮内庁河野宮の墓標、

尊秀王の墓とある。

この光景は不可思議な感じです。

どの表示が正しいのでしょうか?

川上村の伝承から見ると・・・・

長禄元(1457)年12月2日の夜、赤松の家臣により、神璽を奪われ、2つの御所が襲撃され、自天王は18歳の若さでこの世を去り、忠義王は御所で討死、

あるいは、その場は死

もっとみる