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プリズン・ドクター (おおたわ 史絵)
(注:本稿は、2023年に初投稿したものの再録です。)
いつも聴いている大竹まことさんのpodcast番組に著者のおおたわ史絵さんがゲスト出演していて、本書の紹介をしていました。
刑事施設内の職場という特殊な環境下での経験を綴ったエッセイはとても興味深いものがありました。
その中で語られたエピソードや思うことの中から、私の関心を特に惹いたところをひとつ書き留めておきます。
矯正医官として被収容者と診察を通して接する中で、おおたわさんが痛感した日本の医療の現状の一端です。
犯罪を起こした後の「刑事責任能力」判定に係る医師としての虚無感。
(p103より引用) 犯人らの精神の異常をもっと早く正確に判断する手段はなかったのか?止められなかったのか?
この問題を考える時、医師の立場からすれば少しでも治療に繋げていれば起こらなかった犯罪はいくつもあると感じる。・・・
事件が起きてからでは遅い。未然に医療が介入できる仕組みが必要だ。諸外国では薬物乱用や病的窃盗、性犯罪などには再犯防止のための治療を受ける義務を課しているところもある。 だが日本はまだまだそこまで及ばない。 異常性の治療は本人の意思にまかされている。
一日も早く、この国も変わらなければいけない。
本書には、矯正施設に収容されている人たちの様々な実態が紹介されています。おおたわさんが施設内や診察現場で直面したものもあれば、問診の過程やカルテの記載で聞き知ったこともあります。
それらは、彼ら彼女らが収容されるに至った背景・経緯等にも及び、そこに存する理不尽さ、すなわち、“必ずしも被収容者本人だけの責に帰すべき帰すべきものではない要因” には心が痛むところも少なくありません。
「格差」「貧困」「病気」「教育」「外国人労働者」「人間関係」・・・、“自己責任” というにはあまりも酷な “公の無策” が際立つ現実。
ここにも「劣化に向かう日本社会」の姿が明瞭に見えているように思います。