バナナと日本人―フィリピン農園と食卓のあいだ (鶴見 良行)
岩波書店の「図書」という小冊子に、岩波新書創刊70年記念の企画として「私のすすめる岩波新書」というコーナーがありました。
本書は、ルポライターの鎌田慧氏や東京大学名誉教授の篠原一氏等、数名の方がお薦めとして挙げられていたので読んでみたものです。
「バナナ」という身近な食品から、発展途上国の貧困を踏み台にして世界経済を牛耳ろうとする多国籍企業実態や世界経済の歪みを浮かび上がらせています。
(p25より引用) 今日、バナナを食べているのは日本の私たちであり、これを作っているのはフィリピン人労働者だ。だが、バナナ農園を支配する四社のうち、三社は米国資本である。かれらは、バナナ植付け面積のほぼ八割を支配している。米国農業産業の比重はかくも大きい。日本の私たちは、フィリピン人の労働の成果を食べている。だが、この交換関係で最大の恩恵を受けているのは、実は、米国企業の株主たちなのである。
外資企業は様々な不当な手段でバナナ農場を手に入れました。土地搾取は、当地の農民にとっては人間性喪失の第一歩でした。
(p74より引用) 土地問題は、もちろん重要ではあるが、麻経済の一面にすぎない。その不当な誇張は、ナショナリズムの心理に快くはあったろうけれど、他の反面を見落とさせることになった。その反面とは、経営と生産技術の問題である。つきつめていうと、経営や生産技術の進歩にうち込む人間主体の問題である。
生産者と消費者との間に介在する外資企業は、通常働くべき市場原理を機能停止させました。
(p144より引用) 安いところで買い、借りる。高いところに売り、貸す。-この市場原理による選択がまるで働かないように、バナナの生産現場は仕組まれている。・・・
バナナという市場商品を生産する、ここダバオの契約農家や労働者は、その資本主義の仕組みからさえ切り離され、疎外されている。こうした分断、疎外が外資企業の利益を確実なものにしている。ここは外資企業のための「格子なき牢獄」であり、借金は生産者を縛る「見えざる鎖」である。
フィリピンの農民・労働者は、自由な資本主義市場のプレーヤとしては登場できませんでした。
(p168より引用) 麻やバナナなど、世界市場につなごうとしてミンダナオに入ってきた外部の勢力は、土地の人びとを経済的に搾取しただけでなく、その自立的な主体の成長を阻むかたちで働いた。
著者は、生産現場の社会的問題は、本来的には当事者が解決に立ち上がるべきものだと語ります。しかしながら、著者のいう当事者とは、生産者である現地の労働者に止まりません。
(p224より引用) 作るものと使うものが、たがいに相手への理解を視野に入れて、自分の立場を構築しないと、貧しさと豊かさのちがいは、-言いかえれば、かれらの孤立と私たちの自己満足の距離は、この断絶を利用している経済の仕組みを温存させるだけに終るだろう。
消費者である我々も、まさにこの経済連鎖の中の「当事者」として、そこに底流する問題を自覚すべきだと訴えています。