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昭和史をどう生きたか 半藤一利対談 (半藤 一利)

(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)

 著者の半藤一利さんの著作は、今までも何冊も読んでいますし、先日も「墨子よみがえる」「戦争というもの」を読んだところです。
 やはり、半藤さんの戦争反対・平和希求への想いや言葉は強く心に沁み入ります。

 本書もそういった流れの中で手にした本です。

 澤地久枝さん、保阪正康さん、戸髙一成さん、加藤陽子さん、梯久美子さん、野中郁次郎さん、吉村昭さん、丸谷才一さん、野坂昭如さん、宮部みゆきさん、佐野洋さん、辻井喬さん。これら12人の方々と半藤さんとの対話からどんな新たな気づきが得られるか、楽しみで読み進めましたが、その中で、私の印象に残ったところをいくつか書き留めておきます。

 まずは、「指揮官たちは戦後をどう生きたか」との章で、保阪正康さんが語るあまりにも酷いエリート軍人の言葉

(p89より引用) 大本営の一参謀だった軍人が「特攻隊は発想の先取りだった」と言い、「ミサイルはコンピュータを使って目標に向かっていくだろう、その先取りだよ」と言った時には、飛びかかってぶん殴りたかったですよ。

 戦時中ではなく、戦後、生き残った人の言葉ですから、なおさら最低です。

 次は、半藤さんの「山本五十六」評
 基本的には、反戦派だった山本五十六を評価している半藤さんですが、真珠湾攻撃の際の彼の姿勢を捉えて、こう語っています。

(p127より引用) 山本五十六という人は、越後人の悪いところもそっくり持っています。リーダーが、周囲にしっかりと何のためにこの作戦をやるのか説明をしない。これはやはりよくない。山本五十六は名将だが肝心要のところで残念ながらダメなのです。リーダーが、「分かるやつにしか分からない」と説明を怠ってはいけません。

 そしてもうひとつ、「戦後六十年が問いかけるもの」との章で、思想のない玉虫色の憲法改正草案を材料に語る辻井喬さんが紹介した三島由紀夫のエピソード

(p331より引用) 三島由紀夫さんに直接聞いたのですが、彼は大蔵省を辞めるまで、上司に「おまえみたいな文章の下手なやつは見たことない」と言われていたそうです。「いざという時にはどちらにでもとれるように書くのが役人の文章だ。おまえは何度言っても断定的に書く」と(笑)。三島由紀夫にとって、いちばん書けない文章だったのですね。
 そういう役人文章が今度の憲法草案にも見える。やっぱり政治家だけでは作れなかったんだなと思いました。

 辻井さんと半藤さんとの対談は、お二人ともご自身の頭の中でしっかりと整理された思想を基に話されているので、とても勉強になりますね。

 さて、多彩なテーマの興味深い対談が盛りだくさんの本書ですが、採録された対談の内容でも示されているように、「昭和史」といえば「太平洋戦争」の記憶と記録は外すことはできません。
 保阪正康さんとの対談の最後ではこういうやり取りが交わされていました。

(p100より引用) 保阪 戦後の日本人は、大なり小なり戦争体験を引きずって生きていました。半藤さんも私も、その聞き書きの旅をずっと続けてきたわけですが、もう軍の指揮官たちはもちろん、兵隊体験のある方もしだいに亡くなっています。それだけにこれからは誤った史実や伝承が生まれないようにしたいですね。軍人の戦後の生き方の中には、戦前のその人自身の姿も反映していると考えるべきだと思います。
半藤 そうですね。こうやってさまざまな軍人たちの戦前と戦後の生き方を考えてみると、そこには日本人そのものの生き様が見えてくる。組織としても個人としても、昔も今もほとんど変わってないんじゃないかという気もします。気高く生きた人もいた。許すべからざる生き方を続けた人もいた。歴史とは人間学だとつくづく思えてきます。昭和史から学ぶべきことは、まだまだ多いですね。

 決して忘れないように、決して風化させないように。

(p341より引用) そして日本人は怖いんですよね。一つの方向へワッと動きますからね。対米英戦争へ引っ張っていった参謀の服部卓四郎、辻政信といったような、煽動することの上手なタイプの人が、若い政治家や言論人に増えているような気がしますね。

 今日の世情を鑑みるに、半藤さんの警句がますます重みを増してきたようです。



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