街場のメディア論 (内田 樹)
自分探し
本書は、神戸女学院大学での内田樹氏の講義が原型となっていますので、当初想定されている読者は「学生」です。
近い将来社会に出て行く学生たちは、就職活動を通じて自分が就職する企業を探すことになります。それは、自分と仕事とのマッチングを模索する営みでもあります。
大学においてキャリア教育を教える立場にもある内田氏は、この就職活動において学生たちが意識する「適性と天職」という発想の否定から講義を始めます。
この感覚は非常によく分かりますね。
私も40年ほど会社勤めをしているので、多くの若手・中堅社員をみてきていますが、仕事を通じて大きく伸びるかどうかは、まさにこの「発想の転換」の成否にかかっているように思います。
もちろん、どんなことがあっても「仕事に合わせるべき」と言っているのではありません。
「自分(の意思)」がすべてではないということです。「自分探し」で仮に(どんなものか分かりませんが・・・)「自分」が見つかったとしても、それと「自分がやるべきこと」に関わることができるかは別物です。
内田氏のこのコメントは、かなり極端に振った言い方ではありますが、「他者への貢献を自己目的化する」と、そのエネルギーはものすごく大きなものになるというのは、そのとおりだと私も思います。
本書の後半での「贈与経済」についての立論でも、内田氏は、「他者との関係性」という視点からその理路を説いています。
最終講での内田氏からのエールです。
メディアの価値
内田氏も、学者としては比較的マスコミへの露出も多い方で、まさに「メディア」を仕事場にしているお一人です。自分自身にも大きな関わりがあることから、わが事として「メディア」の動向については注視し、積極的に発言しています。
昨今のこの手の議論は、インターネットに代表される新たなメディアの台頭と、新聞・テレビといった従来型メディアの衰退といったコンテクストが主流になっています。
こういったステレオタイプの対比スタイルに対して、内田氏は、もっと根源的な価値判断がなされるべきだと指摘しています。
この指摘は重要です。新たなメディアであっても「どうでもいいもの」は淘汰されるでしょうし、旧来メディアでも「重要なもの」は生き残るということです。
では、「どうでもいいもの」であるメルクマールは何か、考えられる一つは、「正義」を追求するものか否かでしょう。
このメディアの正義感がまた曲者です。メディア、特にテレビや新聞といった一般大衆に露出の多いメディアは、自ら「正義の味方」であることを標榜しますし、「弱者の味方」として振る舞います。
「推定正義」を貫くメディアの姿勢に大きな問題があるとの考えです。これも、実感として首肯できる点ですね。
さらに、こういう一種独善的なメディアの暴走は、「メディアとしての矜持」の喪失に根源があるようです。
これもそのとおりです。メディアが、直接情報源にリーチしないのであれば、まさに存在する意味はなくなります。
一次情報の無条件な盲信に基づく情報の変形と拡散、こういったメディアの暴走の増幅が、すでにネットの世界では通常状況として起こっています。内田氏の用語を借りると、「発した言葉の最終責任を引き受ける生身の個人」が見えないのです。ネットにおける匿名情報の危うさが拡大している今こそ、顔の見える個としての責任あるメディアが復権する機会なのです。
「どうしても言っておきたいこと」を語っているかが、メディアの命脈をつなぐものだと内田氏は説いています。ここにメディアとしてのraison d'êtreがあるのです。「自分しか語らない」、すなわち「語る自分」を確固たるものとしているか、それは別にNew mediaであろうとOld mediaであろうと関係はありません。
要は「個としての主体的責任」に根源的な存在意義を認めているか否かの問題です。
市場原理
本書は「街場のメディア論」というタイトルではありますが、直接的にメディアに関する話題以外でも、興味深い主張が数多くありました。
そのうちのいくつかを以下にご紹介します。
まずは、「市場原理の暴走」について。
内田氏がある国立大学の看護学部に講演にいった際経験したエピソードです。
そこのナースセンタには、「『患者さま』と呼びましょう」と呼びかけるポスターが掲示してあったそうです。厚生労働省からの指示によるのですが、この病院では、「患者さま」と呼び始めて、院内規則を守らず、ナースに暴言を吐き、入院費を払わず退院する患者が増えたとのこと。
この状況に対する内田氏のコメントです。
医者と患者が向き合う医療現場も「売る人」「買う人」という「市場関係」と相似形で語ることができるのでしょうか。市場は決して誤らないという「市場原理主義」を、商取引以外の社会関係にまで無条件に敷衍するのは、明らかに間違いだと私も思います。
こういった市場原理主義適用の過ちは、医療現場に止まらず教育現場でも見られます。
もうひとつ、「著作権」について。
最近、デジタルコンテンツの流通拡大に伴い「著作権」については様々な立場からの議論がなされています。内田氏は、公にした自身の評論・論文等については「著作権フリー」を実践しています。広く自分の主張を広めるためには、その方が良いとの判断ですが、「著作権」をビジネスの商材ととらえる動きもあります。
著作権はビジネスベースで扱われるべきものではなく、読者に対する「贈り物」であり、それに対しては「感謝の気持ち」で報いるべきというのが、内田氏の主張です。非常に面白い考え方だと思います。
「著作権」として認められる「価値」の根源はどこにあるのか。これを追求する中で提示された「贈与経済」というコンセプト、そしてそれに依拠した内田氏の立論はとても独創的で興味深いものです。
最後に、「メディア」の話題に戻ります。
内田氏によると、昨今のメディアの劣化はその「定型的パターン化」の帰結とのこと。
この内田氏の指摘は、現代メディアの本質を結構的確に言い表しているように思いますね。