言葉の風景、哲学のレンズ (三木 那由他)
(注:本稿は、2024年に初投稿したものの再録です。)
いつも利用している図書館の新着本リストを見ていて、タイトルに惹かれて手に取ってみました。
哲学者三木那由他さんによる “哲学的な視座” からのエッセイ集です。
トランスジェンダーである三木さんならではの起点からの興味深い指摘や思索の紹介が数々ありましたが、そういった類のものとはちょっと違ったユーモラス?なエピソードをひとつ書き留めておきましょう。
三木さんはかれこれ30年来の “GLAY(日本のロックバンド)ファン” とのことですが、言語哲学を学んだあと、歌詞の解釈に新たなバイアス?がかかったというのです。
その歌詞は、こうです。
「pure soul」という楽曲の歌詞なのですが、この中の “命題” という単語に鋭敏に反応してしまうようになったそうです。
“哲学者” なら、さもありなん、と思わせるネタですね。
私も、たとえば(「可能性」ではなく)「蓋然性」といった単語を耳にすると、ちょっと反応することがありますね。
もちろん私はアカデミックな世界にいる者ではありませんが、はるか昔、学生時代に学んだことの断片が顔を出すようです。