見出し画像

宇宙人としての生き方 ―アストロバイオロジーへの招待― (松井 孝典)

 ビッグバン以来150億年、150億光年という時空のスケールで宇宙・地球・生命の歴史を再整理し、そのモデルから今までの文明論を見直すという試みの本です。

 宇宙に「視座」を移すと、人間を含め地球上の事象を「俯瞰的」「相対的」に見ることになります。

(p10より引用) 宇宙から地球を見ると、地球の全体が見えます。全体が見えるということは、俯瞰するということです。・・・もう一つは、我々の存在をほかの知的生命体が存在するとしてどう見えるかについて考えるわけですから、相対的な視点を持つということです。宇宙からの視点でものを考えるということは、俯瞰的な視点と相対的な視点を持つということです。我々を絶対視して考えないというところが非常に重要な点です。

 こういった見方は、全体として認識するための「総合化」を目指した新たな方法論を必要とします。これは、デカルトやベーコン以来の「二元論」や「要素還元主義」に替わるべきものです。

 著者は、この「総合化」のための方法論として、とりあえず「システム」と「歴史」という視点での考察を提案しています。

 「システム」は、その構成要素と構成要素間の連関で成り立っています。

(p60より引用) 宇宙からの視点にたつと、・・・現代とは地球システムの構成要素として新たに人間圏が誕生した時代です。このような視点から考えると、人間圏をつくって生きる生き方が文明であると定義できます。

 「人間圏」の成立は、「狩猟採集」から「農耕牧畜」への移行がその契機となりました。

(p60より引用) 農耕牧畜とは、地球システムの中に人間圏をつくって生きる生き方といえます。・・・狩猟採集という生き方は、生物圏の中の物質とかエネルギーの流れを利用する生き方です。これは、わかりやすい表現でいえば、生物圏の食物連鎖に連なって生きる生き方ともいえます。

 狩猟牧畜の時代は、人類はまだ生物圏内の一生物種に過ぎない時代であって、地球システム論的には意味をもっていません。しかしながら、農耕牧畜の時代になると、人類は生物圏から離れ新たに人間圏という独立したシステム構成要素を構築することになるのです。

 農耕牧畜が始まると、人は集団である地域に定住するようになります。集落が村に都市にと変貌していきますが、そういう共同体を構築・維持していくためには、その構成員間で「共同の意識」をもつことが必要となります。
 この共同意識をもつ条件として、著者は脳の発達も指摘しています。

(p102より引用) 我々がなぜ人間圏をつくったかという問題を考えるときには、脳の神経細胞回路の接続の変化により、抽象的思考ができるようになったこと、すなわち共同幻想を抱けるということも重要な条件だろうと思っています。

 本書で主張されている「人間圏」という捉え方は、以前読んだ今道友信氏の「エコエティカ」で説かれた「生圏倫理学」(=人類の生息圏の規模で考える倫理)のスコープにも似ているようです。

 最後に、本書を読んで特に興味をいだいたフレーズを2つ、覚えとして記しておきます。

 ひとつは「生き残り」の条件について。

(p129より引用) 多細胞生物になり、生命がある環境に適応し特殊化してくると、絶滅を起こすようになります。・・・
 これに対して原核生物や単細胞生物など単純な生物は絶滅しにくく、最古の生命が今でも生き残っていることは前に述べました。原核生物や単細胞生物は、からだのつくりが単純で、やたら数が多く、生存しうる環境条件が広いからです。

 この指摘は、たいへん示唆に富んでいますね。

 もうひとつは「自然科学者の知の獲得」についてです。

(p180より引用) 知的生命体として我々にすばらしい能力があって、ものすごい知の体系を創造しているのではありません。叡智だなどというと、なんとなく我々が知の体系を創造しているように感じられますが、そうではないわけです。ビッグバン以来の宇宙の歴史、地球の歴史、あるいは生命の歴史を解読した結果を単に知の体系と呼んでいるにすぎません。
 自然科学者の仕事とは創造することではなく、解読することなのです。

 こちらは、ちょっと寂しい指摘です。。



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集