ソーシャルブレインズ入門―<社会脳>って何だろう (藤井 直敬)
「ソーシャルブレインズ」は「社会脳」と訳されるのですが、そう訳されたとしても何のことかよく分からないですね。
藤井直敬氏による最もシンプルな定義はこうです。
著者は、「ソーシャルブレインズ」の説明にあたって、「脳単独」「1対1の関係」「多数(社会)との関係性」といったフェーズに分けて論じています。
脳の機能を解き明かそうとする従来の神経科学においては、ブロードマンの脳地図に代表されるような機能面から見た組織学的アプローチが主流でした。この流れに対して、著者は自己の立場を以下のように表明しています。
この「脳内のネットワーク構造」が、複数の脳を対象とした「ソーシャルブレインズ」というコンセプトにつながっていくのです。
ちょっと前に流行った「空気」も複数の人間が集まった空間で生まれるものですから、「ソーシャルブレインズ」というコンセプトが関係するイシューです。
著者は、この「空気」の効用を変わった視点から指摘しています。
私は、「脳」に関しては以前からちょっと興味をもっていて、今までも「だまされる脳」「進化しすぎた脳」「感動する脳」「脳が教える! 1つの習慣」等々何冊かの本を読んでいるのですが、本書が提示している「ソーシャルブレインズ」というテーマは非常に面白いと感じました。
以下に、本書を読んで気になったいくつかの点を、覚えに書き記しておきます。
そのひとつは、「認知コスト」という考え方です。
著者によると、認知コストとは「脳内の認知操作に必要とされるエネルギー」のことを言います。
脳にとっては、すでに脳内に構築されている既存の方法をとることが、新たなエネルギー消費を生じさせない方法となります。たとえば、「評判がいいものを選ぶ」という行為は、自分自身の脳であれこれ考えなくても社会的に一定の評価を得ているものを選択できることになりますから、「認知コスト」を抑制するものと言えます。
この「認知コスト」を行動選択のメルクマールにするとの立場にたつと、脳は(すなわちヒトは)「既存の方法」「保守的な選択」をしがちであることを理解しやすくなります。
もうひとつ、ヒトは社会的動物であるが故に、置かれた社会的条件(環境)次第では「なんでもやってしまう」という現実です。
本書で紹介されているミルグラム実験やスタンフォード監獄実験で明らかにされたものは、「『権威による社会的従属傾向』はすべてのヒトに後天的に身につくものだ」という悲しい結果でした。