(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)
中村哲医師のことは、恥ずかしながら、あの悲しい事件が起きるまでは知りませんでした。
いつか中村さんに関する本を読んでみようと思っていたところ、いつもの図書館の新着本リストの中で見つけたので手に取ってみました。
著者は、中村さんと親しくお付き合いのあった歌手の加藤登紀子さん。中村さんの見事なまでの足跡を伝える彼女の穏やかな筆致が、中村さんが大切にしたアフガンの人々への想いとともに心に沁み入ります。
加藤さんが紹介する中村さんの人となりを顕す言葉やエピソードから、印象に残ったものを書き留めておきましょう。
中村さんは、1984年、パキスタンのペシャワール・ミッション病院に派遣されました。1986年、中村さんの片腕として活動を共にすることになるアフガン人医師から「なぜここで働いているのか」と問われたときの中村さんの答えはこうでした。
中村さんの珠玉の「言葉」は、加藤さんが、本書の第3部に「生きるための10の言葉」として紹介してくださっているのですが、その中で、特に私の心に響いたもの。
ひとつめは、医学生から「将来海外で医療に携わりたいと考えているが、それに向けた覚悟」を尋ねられた際の中村さんの答えです。
こういった “達観” “諦観” チックな言葉も、中村さんの凄まじい実体験を思うにつけ、その含意には桁違いの重みや切迫感がありますね。
もうひとつ、中村さんの活動を支えてきたペシャワール会の「三無主義」。「無思想」「無節操」「無駄」。
その中の「無駄」について。
こういった気持ちの持ち方、これが人々の自然な営みの中での実感覚なんですね。
本書には、中村さんとの交流の思い出と併せて、加藤さんの環境省・UNEP国連環境計画親善大使としての行動をはじめとした様々な国際貢献活にまつわるエピソードも数多く紹介されています。
2018年、サハリンのチェーホフ劇場でコンサートを開催したときのこと。
加藤さんが「ペレストロイカ」というたびに地元の人々の顔が厳しいものに見えたと言います。
真にその地の人々の望むことを行う難しさです。
それだけに、かの地の人々に心底愛された中村さんの献身の崇高さが際立つのです。
中村さんは、こうも語ったそうです。
完全に脱帽です。