新しい道徳 「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか (北野 武)
(注:本稿は、2016年に初投稿したものの再録です)
話題の本ですね。
著者はあの北野武氏ですから、いろいろな意味で大いに期待しつつ手にとってみました。でも、かなり予想していたものとは違っていましたね。
テーマは “道徳”。
まずは、昨今の小学校での「道徳教育」が俎板に載せられます。
道徳の授業が、こういった人としての行為を「理屈」や「損得勘定」で教えられるようになると、教える側に「伝えようという意思」が欠けてきます。理屈で推し量れないような価値観は、伝える側の “信念” や “熱意” により相手に伝わっていくものです。
人に何かを伝えようとする行為は、伝える側の全人格的行動でしょう。
それと同時に、伝えようとすることに “普遍的な納得感” がなくては相手には届きません。人に「道徳」として伝えるのであれば、その内容はすべての人にとって受け入れられるもの(価値観)でなくてはならないでしょう。
とはいえ、世の中には、さまざまな考え方の人がいます。その中で、全ての人に受け入れられるようなテーゼであろうとすると、畢竟、それは極々当たり前のものになってしまいます。
今日の道徳教育は、「限られた一部の大人」が重要と考えている価値観を、あたかも絶対的な価値であるかのように粉飾して押し付けていると北野氏は考えています。
そういった、言われたことを「無条件」に受け入れる姿勢は、結局のところ、結局は今の子どもたちのためにはならない、これからますます厳しくなる環境下において、自立した思考・行動が取れるような人に育てることが最大の課題だとの主張です。そして、そのためにはどうすべきなのかを北野氏なりの語り口で説いているのです。
さて、本書を読んでの感想ですが、正直なところ、かなり予想していたものとはかけ離れていました。
これが “たけしさん” が書いたものなのかと思うほど、切込みが甘く迫力が感じられないのです。
書かれていることが “当たり前” “常識的” というのともちょっと違います。もっと、ぐりぐりと抉るような “たけしさんならでは” の肉厚のメッセージを期待していたのですが・・・。かなりガッカリです。
本書での「たけしさん的口調」を普通の言いぶりにしてみると、新たな切り口からの独創的な指摘がほとんどないことに気づくでしょう。
たけしさんの本なら、だいぶ以前に読んだ「下世話の作法」の方がお薦めですね。