随感録 (浜口 雄幸)
命懸け
浜口雄幸(1870年5月1日-1931年8月26日)、「ライオン宰相」と呼ばれ、大正から昭和初期の激動期に大蔵官僚・蔵相・首相と数々の重職を勤めた政治家です。
一国の指導者の器が本当に小さくなってしまった今日、銃弾に撃たれながらも「男子の本懐」と語った覚悟に、改めて、重く尊い気概を感じます。
本書は、その浜口雄幸氏の自伝であり遺稿集です。
巻頭の「自序」にはこういう言葉があります。
ここにある「学生向け」のメッセージとして代表的なものを、「青年時の回顧」と題した項からまずご紹介します。
我が身を省みても、学生に止まらず広く人たるものに向けた言葉です。真摯に受け止めるべき浜口氏の信念だと思います。
ところで、巻頭において浜口氏は、政治に関する話題は他の歴史家に譲ると記しています。が、やはり、本書のそこここに政治・政界の回想が登場します。
たとえば、第三次桂内閣総辞職以降の二大政党制の黎明期、浜口氏が在野にあったころの言葉です。
当時も官僚主導 vs 政治主導の確執があったようです。ただ、浜口氏の考えは、健全な二大政党制の機能を政治主導の要件と見ているように思います。
そういう理想を追求する姿勢も含め、浜口氏は、自らの確固たる政治哲学に従った真っ直ぐな政治家でした。
さらに、こう続けます。
浜口氏の火を噴くような想いが伝わってきます。
「政治は命懸け」、この言葉は昨今の政治家の口からも発せられます。が、浜口氏の断固たる構えと比較すると、その覚悟の真剣さには天と地ほどの差があります。
将に今、浜口氏が叫ぶ言葉の重さ・尊さを思い返すべきだと思います。
本は読むべし、本に読まるるなかれ
本書には、政治に関する随感のほか、浜口雄幸氏の人となりを垣間見ることのできる興味深いエピソードや言葉が豊富に紹介されています。
たとえば、浜口氏による自己分析。自身について、「余と趣味道楽」の項でこう語っています。
決して「平凡」だとは思いませんが、自らが謙虚にそう思い、それを起点にして精進・修養された姿はとても刺激になります。
もうひとつ、「読書」についての浜口氏の考え方。
これもまた、いかにも浜口氏という風情の至極率直また明晰な論旨です。
浜口氏は、読書の価値を「判断力の養成」に置いています。
二流三流の著作の多読濫読は「本に読まれている」だけで何の益もないというのです。
さらに、浜口氏はこう続けます。
私は決して多読速読主義ではありませんが、しばしば「読むこと」が目的化していると感じることがあります。著者と相対する姿勢を忘れてしまうことがあります。大いに反省です。
信念
第一次世界大戦後、益々意気上がる軍部の軍拡要求に対しロンドン海軍軍縮条約を締結、日本経済がデフレの真っ只中、金本位制への転換を推進・・・、特に不況下に執った緊縮財政政策の評価は必ずしもよいものではありませんでしたが、自らの政治信条に基づき、重要な決定を正面突破で断行した浜口氏の決断力には敬服すべきものがあります。
その決断力を支えていたのが、浜口氏の「信念」です。
本書には、数多くの箴言・金言が散りばめられています。その中から、いかにも修養・努力の人である浜口氏らしい言葉をいくつか書き留めておきます。
まずは、桂太郎氏を憶う章から、桂氏の談話を受けて。
もうひとつ、昭和5年11月14日、東京駅での遭難の際。
「殺られるには少し早いな」、この思いの根底にあったものを、浜口氏はこう語っています。
自らの責務を果たし切れていないとの思い、偽らざる気持ちだったのでしょう。浜口氏はこうも述懐しています。
まさに浜口氏は謹厳実直な人でした。
最後に、本書を読んで、浜口氏について調べていたときの発見。
遥か昔所属していた部署のトップの方は、浜口氏のお孫さんに当たられる方でした。その方は、「ライオン」との印象は全くなく、祖父浜口氏と同じく大蔵官僚のご出身でしたが、いかにもgentleman、とても温厚な方でした。