日本文化私観 (坂口 安吾)
日本の発見
先に読んだ「日本文化論の系譜」という本で、昭和期の代表的評論として紹介されていました。
著者の坂口安吾氏(1906~1955)は、小説家。本名は炳五(へいご)、新潟有数の大地主である旧家に生まれました。戦中・戦後にかけて、伝統尊重の時流に抵抗してその欺瞞をついた評論「日本文化私観」(1942)や終戦後の価値観の崩壊や世相の混迷の中、戦後の人間のあり方を提唱した「堕落論」(1946)などを発表し、若者を中心に当時の人々に衝撃を与えたといいます。
さて、その代表的著作の「日本文化私観」です。
この著作は、桂離宮等の日本の伝統美学を絶賛したドイツの建築家ブルーノ・タウトの主張への批判・反論の書です。その直接的な批判の意図を明らかにすべく、タウトの著作と全く同じ「題(日本文化私観)」としたのです。
(p100より引用) 然しながら、タウトが日本を発見し、その伝統の美を発見したことと、我々が日本の伝統を見失いながら、しかも現に日本人であることとの間には、タウトが全然思いもよらぬ距りがあった。即ち、タウトは日本を発見しなければならなかったが、我々は日本を発見するまでもなく、現に日本人なのだ。我々は古代文化を見失っているかも知れぬが、日本を見失う筈はない。日本精神とは何ぞや、そういうことを我々自身が論じる必要はないのである。説明づけられた精神から日本が生れる筈もなく、又、日本精神というものが説明づけられる筈もない。日本人の生活が健康でありさえすれば、日本そのものが健康だ。
坂口氏によると、「日本の文化」とか「日本の精神」といったものは、「日本人」でありさえすれば、そして「必要」に拠っていれば独自のものとして存しうるのであり、別にことさら「伝統」の力を借りる必要はないということになります。
(p98より引用) 伝統の美だの日本本来の姿などというものよりも、より便利な生活が必要なのである。京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らないが、電車が動かなくては困るのだ。我々に大切なのは「生活の必要」だけで、古代文化が全滅しても、生活は亡びず、生活自体が亡びない限り、我々の独自性は健康なのである。
真の美
坂口氏は、単なる「伝統」には何の価値も認めません。「実質」を問います。
(p105より引用) 伝統の貫禄だけでは、永遠の生命を維持することはできないのだ。舞妓のキモノがダンスホールを圧倒し、力士の儀礼が国技館を圧倒しても、伝統の貫禄だけで、舞妓や力士が永遠の生命を維持するわけにはゆかない。貫禄を維持するだけの実質がなければ、やがては亡びる外に仕方がない。問題は、伝統や貫禄ではなく、実質だ。
「実質」とは、「切羽詰った精神の必要」です。
(p119より引用) 京都や奈良の寺々は大同小異、深く記憶にも残らないが、今も尚、車折神社の石の冷めたさは僕の手に残り、伏見稲荷の俗悪極まる赤い鳥居の一里に余るトンネルを忘れることが出来ない。見るからに醜悪で、てんで美しくはないのだが、人の悲願と結びつくとき、まっとうに胸を打つものがあるのである。これは、「無きに如かざる」ものではなく、その在り方が卑小俗悪であるにしても、なければならぬ物であった。
伏見稲荷の鳥居のトンネルは、私も実際行ったことがありますが、洗練された美しい風景とは言い難いもので、“おどろおどろしさ”すら感じます。ただ、何がしか一途なエネルギーの凝縮は確かに認められますね。
坂口氏は、この「必要」に押された「実質」が「芸術の根源」であると言います。
(p126より引用) 美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識して成された所からは生れてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。実質からの要求を外れ、美的とか詩的という立場に立って一本の柱を立てても、それは、もう、たわいもない細工物になってしまう。これが、散文の精神であり、小説の真骨頂である。そうして、同時に、あらゆる芸術の大道なのだ。
そうなると当然「必要」の純度が問われることになります。
(p127より引用) 問題は、汝の書こうとしたことが、真に必要なことであるか、ということだ。汝の生命と引換えにしても、それを表現せずにはやみがたいところの汝自らの宝石であるか、どうか、ということだ。そうして、それが、その要求に応じて、汝の独自なる手により、不要なる物を取去り、真に適切に表現されているかどうか、ということだ。
坂口氏の言う「必要」は、人々の「生活に密着した」ものです。
(p128より引用) 見たところのスマートだけでは、真に美なる物とはなり得ない。すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。要するに、空虚なのだ。そうして、空虚なものは、その真実のものによって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有っても無くても構わない代物である。法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。
生活に根ざしたものでなければ、どんなに歴史的に価値を認められているものであっても、坂口氏の価値観では、「不要なもの」とされます。
逆に真に生活に必要なものであれば、それが模倣であっても「価値」を認めるのです。
(p128より引用) 我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の伝統も健康だ。必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる。そこに真実の生活があるからだ。そうして、真に生活する限り、猿真似を羞ることはないのである。それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。
青春論
ちょっと前に、宮本武蔵の「五輪書」を読んだところだったので、興味深く読みました。
坂口氏によると、氏の「青春論」を語るためには武蔵の登場は不可欠だと言います。氏の見立てでは、武蔵の剣術は以下のように映ります。
(p164より引用) 武蔵の考えによれば、試合の場にいながら用意を忘れているのがいけないのだと言うのである。何でも構わぬ。敵の隙につけこむのが剣術なのだ。敵に勝つのが剣術だ。勝つためには利用の出来るものは何でも利用する。刀だけが武器ではない。心理でも油断でも、又どんな弱点でも、利用し得るものをみんな利用して勝つというのが武蔵の編みだした剣術だった。
「必要に駆られた剣法」とでも言うのでしょうか。
(p172より引用) 武蔵の剣法というものは、敵の気おくれを利用するばかりでなく、自分自身の気おくれまで利用して、逆に之を武器に用いる剣法である。溺れる者藁もつかむ、というさもしい弱点を逆に武器にまで高めて、之を利用して勝つ剣法なのだ。
之が本当の剣術だと僕は思う。なぜなら、負ければ自分が死ぬからだ。どうしても勝たねばならぬ。妥協の余地がないのである。
坂口氏に言わせれば、「五輪書」は武蔵の抜け殻でしかありませんでした。
(p175より引用) 六十の時『五輪書』を書いたけれども、個性の上に不抜な術を築きあげた天才剣の光輝はすでになく、率直に自己の剣を説くだけの自信と力がなく、徒らに極意書風のもったいぶった言辞を弄して、地水火風空の物々しい五巻に分けたり、深遠を衒って俗に堕し、ボンクラの本性を暴露しているに過ぎないのである。
坂口氏は、自己の青春論を「淪落論」でもあると書いています。国語辞書によると「淪落」とは「おちぶれること。身をもちくずすこと。堕落。」とあります。
ただ、坂口氏流には「淪落」とは「現実の中に奇跡を追うこと」だったのです。
(p175より引用) 剣術は所詮「青春」のものだ。特に武蔵の剣術は青春そのものの剣術であった。一か八かの絶対面で賭博している淪落の術であり、奇蹟の術であったのだ。武蔵自身がそのことに気付かず、オルソドックスを信じていたのが間違いのもとで、元来世に容れられざる性格をもっていたのである。
武蔵は28歳、真剣勝負をやめた時、彼の青春は終わったのです。武蔵は「剣術」から身を引いたからです。
(p178より引用) 武蔵の剣を一貫させるということは正に尋常一様のことではなかった。僕がそれを望むことは無理難題には相違ないが、然しながら武蔵が試合をやめた時には、武蔵は死んでしまったのだ。武蔵の剣は負けたのである。
勝つのが全然嬉しくもなく面白くもなく何の張合いにもならなくなってしまったとか、生きることにもウンザリしてしまったとか、何か、こう魔にみいられたような空虚を知って試合をやめてしまったというわけでもない。それは『五輪書』という平凡な本を読んでみれば分ることだ。ただ、だらだらと生きのびて『五輪書』を書き、その本のおかげをもって今日も尚その盛名を伝えているというわけだが、然し、このような盛名が果して何物であろうか。
「堕落論」その他
私の選んだ「日本文化私観(講談社文芸文庫)」は、サブタイトルが「坂口安吾エッセイ選」とあるとおり、全部で22編の評論・随筆が収録されています。
そのなかで私の関心を惹いた坂口説です。
まずは、「堕落論」における「武士道=逆説の教え」です。
坂口氏の説では、「規則は、その規則なくしては実現できない現実への対処」だということになります。
(p200より引用) 彼等の案出した武士道という無骨千万な法則は人間の弱点に対する防壁がその最大の意味であった。・・・
我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。・・・
古の武人は武士道によって自らの又部下達の弱点を抑える必要があった。
すなわち、「武士道」の本質は、「武士の本性への手当て」ということです。
(p201より引用) 武士道は人性や本能に対する禁止条項である為に非人間的反人性的なものであるが、その人性や本能に対する洞察の結果である点に於ては全く人間的なものである。
次の関心は、「デカダン文学論」に記された坂口氏の「文学論」に関してです。
私はほとんど「文学」には取り立てての興味も基礎的な素養もないので、坂口氏の、たとえば、島崎藤村や横光利一らに対する批判等については、その当否は分かりません。
ただ、「そうかなあ」という感じです。
(p223より引用) 藤村も横光利一も糞マジメで凡そ誠実に生き、かりそめにも遊んでゐないやうな生活態度に見受けられる。世間的、又、態度的には遊んでゐないが、文学的には全く遊んでゐるのである。
文学的に遊んでゐる、とは、彼等にとつて倫理は自ら行ふことではなく、論理的に弄ばれてゐるにすぎないといふことで、要するに彼等はある型によつて思考してをり、肉体的な論理によつて思考してはゐないことを意味してゐる。彼等の論理の主点はそれ自らの合理性といふことで、理論自体が自己破壊を行ふことも、盲目的な自己展開を行ふことも有り得ないのである。
この批判の根底にある坂口氏の「倫理観」は、以下のように表明されています。
(p224より引用) かゝる論理の定型性といふものは、一般世間の道徳とか正しい生活などと称せられるものゝ基本をなす贋物の生命力であつて、すべて世の謹厳なる道徳家だの健全なる思想家などといふものは例外なしに贋物と信じて差支へはない。本当の倫理は健全ではないものだ。そこには必ず倫理自体の自己破壊が行はれてをり、現実に対する反逆が精神の基調をなしてゐるからである。
強烈ですね。
最後は「続堕落論」での坂口氏の叫びです。
(p240より引用) 人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義は御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一の条件だ。そこから自分と、そして人性の、真実の誕生と、その発足が始められる。
日本国民諸君、私は諸君に、日本人及び日本自体の堕落を叫ぶ。日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ。