日本人へ リーダー篇 (塩野 七生)
塩野七生さんの著作は、代表作の「ローマ人の物語」をはじめエッセイもいくつか読んでいます。
本書は、「文藝春秋」巻頭随筆を採録して新書化したものとのことです。イタリア(ローマ)からの視点で、現代の日本の世情や各国の話題をとりあげた40章。塩野さん流の小気味よいコメントが満載です。
たとえば、そのひとつ、「戦争の大儀について」と題する章での「日本の国際舞台での振る舞い」を語ったくだりです。
このあたりは、いかにも塩野さんらしい合理的・功利的でドライな考え方ですね。
また、こんなアドバイスも。「事象との対面の仕方」についてです。
こちらは、なるほど、普遍的に首肯できる考え方だと思います。
そのほか、「はた迷惑な大国の狭間で」とのタイトルの章では、例の「ローマ人の物語」において塩野さんが繰り返し指摘しているところが語られています。
周辺諸国との数々の戦いの末に歴史に残る大帝国を築き上げたローマ人。彼等が採った賢策が「敗者同化政策」でした。これが、ローマ帝国主導の世界秩序たる「パクス・ロマーナ」を現出させた要諦です。
さて、最後にご紹介するのは「問題の単純化という才能」という章での塩野さんの指摘です。
一見本質を鋭く突いたようなコメントです。「問題の本質は何か、に関心をもどす」というところまではその通りでしょう。しかし、それはイコール「問題の単純化」ではないと私は思います。
塩野さんは「重要な問題ほど、単純化して、有権者一人一人が常識に基づいて判断を下す必要がある。」と書かれています。もちろん、本質的な争点の明確化は重要ですし、正しい判断を下すサポートとしては非常に効果的です。
とは言いながら、「問題の単純化」は、時として、本質を隠した形で白黒を迫る場合もあります。「変革か現状維持か」、こう問われると多くの人は「変革」を選ぶでしょう。しかしながら、その変革が正しいものかどうかは内容次第でしょう。当然のことです。
内容を示さない安易な「単純化」は、ポピュリズムを利用した罠にもなりうると思うのです。