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九十八歳。戦いやまず日は暮れず (佐藤 愛子)

(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)

 いつも利用している図書館の新着書リストの中で見つけていたのですが、予約待ち列が長く、手元に届くのが遅くなってしまいました。

 佐藤愛子さんの著作は、家族の蔵書から引っ張り出して、今までも「九十歳。何がめでたい」「日当りの椅子」とかを読んでいますが、本書は(同時進行のものとしては)佐藤さん最後のエッセイ集ということで、大きな寂しさを感じつつも楽しみに手に取ってみました。

 佐藤さんが綴った数々のエピソードの中から、印象に残ったくだりをいくつか書き留めておきます。

 まずは、「青春時代の思い出話」を友人たちと語り合うときの心持ちについて。
 佐藤さんの青春時代はまさに戦時下でした。

(p146より引用) この国は平和がつづき、飽食の国になったのだ。悲痛な思い出は笑い話になった。それを語る私も笑っている。笑い終えて憮然としている。

 “笑い終えて憮然としている”というフレーズはずっしりと心に響きますね。

 もうひとつ、同じく作家だった佐藤さんの父君(佐藤紅緑氏)が筆を置くに至ったときの様子
 雑誌の編集長から作品の質の衰えを指摘する手紙が送られてきました。

(p152より引用) 母は手紙を読み、それから送り返されて来た原稿を讀んだ。 それから姉に讀ませ、私にも讀ませた。そして訊いた。
「どう思う?」と。
 一讀して私は「こりゃアカンわ」といった。父の熱血が空廻りしててわざとらしい、と私は生意気をいった。姉も同感だった。母は黙って考え込んでいた。そしてその翌日、母は父にいった。
「あなたはもう十分過ぎるほど書いて来られたじゃないですか。もうこのへんで身を退いて、後は好きな俳句でも作って穏やかに暮せばいい。経済的なことは心配いらないようにちゃんと用意してありますから」
「うむ」
とだけ、父はいったそうだ。激情家の父が素直に母の言葉を聞き入れたことに私は胸を突かれた。いきなり太陽が翳り、この家が暗く縮んだような気がした。

 このシーンも印象的ですね。その瞬間の家族の絵が浮かびます。

 しかし、齢90歳をはるかに越えても、佐藤さんは間違いなく “エッセイの名手” だと思います。
 テンポも良くウィットに富んでいて、どんなテーマでも読んでいて気持ちが清々しく軽やかになります。佐藤さんの人柄そのままの素直な語り口が魅力なんですね。

 そう、“人柄そのまま” といえば、佐藤さんが北海道に夏の間過ごすための別荘を持っていることは、これまでの作品でもしばしば登場しているので有名ですが、本書の中で、その別荘を持つに至った経緯やその折のエピソードが紹介されています。
 これが何とも佐藤さんらしく、とてもユーモラスで楽しかったです。 



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