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土門拳 腕白小僧がいた (土門 拳)

(注:本稿は、2013年に初投稿したものの再録です)

 私の場合、土門拳氏の作品といえば、「古寺巡礼」等で発表されている「寺院」「仏像」といった日本古来の伝統的文化財を対象とした重厚な写真を思い浮かべますが、土門氏は、有名人や一般庶民を写したポートレートやスナップ写真も数多く残しています。

 本書は、「人」とりわけ「こどもたち」のスナップを中心に土門氏のエッセイを併載したものです。

 この「こどもたち」にフォーカスした作品のコンセプトを、土門氏は「小市民的リアリズム」と呼んでいます。

(p48より引用) 小市民的リアリズムといっても、まだわかったようなわからないようなものだが、ぼく自身の気持においてわかっていることは、ぼくたちの仲間、つまりもろもろの貧乏と不安の中に生きている「神の子」をモチーフとするということだけははっきりしている。その神の子たちは鼻汁たらして焼き芋をかじっていたり、公園のベンチでシラミをつぶしていたり、臨月の腹をかかえて八百屋で葱を買っていたり、場外馬券売場で成績表をメモしていたりする。

 こういった貧しいけれど生きる力が漲っている昭和20年代後半から30年代初頭の人々の姿は、とても逞しく、改めて元気づけられるものです。

 本書の前半では、東京の江東区を中心にした下町の子供たちのスナップが数多く採録されています。結局は写真集としては出版されなかったのですが、土門氏は「私の履歴書」の中でこう振り返っています。

(p170より引用) 例の「江東のこども」にしても、今はもう撮ろうにも撮れないのである。・・・そんなものはいつでも撮れると思っていたのだが、実際には、そのとき、それを撮っておかなければ、今となっては、もう二度と撮れないのである。

 「江東のこども」では、土門氏は、貧しさを突き抜けたような天真爛漫さ溢れるこどもたちの瞬間を捉えていました。弾けるような明るい純朴な笑顔は、とても微笑ましいものです。

 他方、後半の「筑豊のこどもたち」には、廃坑となった炭鉱町の厳しい現実の中に生きる子供たちの姿が並んでいます。
 こちらの眼差しの中には、これ以上の貧困生活はないような状況のなかで何としてでも自分たちで生き抜いていくんだといった心の強さや健気さが、微かではありますが感じられるのです。

(p166より引用) 『筑豊のこどもたち』の一巻は、飢えに泣く何千のこどもたちを救うことにはならなかったが、『筑豊のこどもたち』の中に撮られた二人の姉妹が今は幸福であるということによって、ぼくは喜ばしいのである。

 本書の写真のモデルになっているこどもたちは、私より10歳程度年上。「筑豊のこどもたち」が撮影されたのは、私がちょうど生まれた頃です。

 私が、この本に登場するこどもたちの年ごろになった頃は、やはり家の前の道に「ろう石」で落書きをしたり、近所の同い年ぐらいの友だちと三角ベースをしたり・・・、ちょっとは豊かになっていたのでしょうが、まだまだ似たような世情の時代でした。



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