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聯合艦隊司令長官 山本五十六 (半藤 一利)

 2011年暮れ「聯合艦隊司令長官 山本五十六」というタイトルで公開された映画の原作本です。
 主人公はその名のとおり「山本五十六」、この人物については個人的にもかなり興味があります。

 五十六は、1884年(明治17年)新潟県長岡生まれ、義理の叔父野村貞海軍少将らの影響を受け、早くから海軍軍人をめざしたそうです。海軍兵学校を卒業後、将官として要職を歴任、米国留学・勤務等も経験した五十六は、日本海軍の実力と各国の国力・軍備の状況を熟知していました。

 さて、本書ですが、著者の半藤一利氏は五十六と同郷、私淑する五十六の人となりを親愛の情を込めた語り口で描いていきます。

 対米戦争の呼び水になると頑強に反対していた「三国同盟」が締結されることとなったころ、五十六は近衛首相から、日米戦が起きたときの海軍の見通しについて尋ねられました。
 その折の五十六の返答です。

(p90より引用) 「それは、是非やれと言われれば、初めの半年や一年は、ずいぶん暴れてご覧にいれます。しかし、二年、三年となっては、まったく確信は持てません。三国同盟が出来たのは致し方ないが、かくなった上は、日米戦争の回避に極力ご努力を願いたいと思います。」

 五十六の願いに反して、欧州情勢の激動が、日本をさらなる戦争拡大の道に向かわせていきました。
 対米戦争が決定的となったとき、五十六は旗艦「長門」から親友の堀悌吉氏(五十六と同期・元海軍中将)に一通の手紙を送っています。その中に、五十六の忸怩たる思いと悲壮な決意が記されています。

(p144より引用) 個人としての意見と正確に正反対の決意を固め、其の方向に一途邁進の外なき現在の立場は誠に変なものなり。之も命という可きか

 太平洋戦争の端緒を開いた真珠湾攻撃、日本海軍が大打撃を受け戦況の分水嶺となったミッドウェー海戦の総指揮を取った五十六。
 対米戦の回避を強く願いつつ、自らその戦いの中枢へ赴き遂には南太平洋で命を落としました。

(p252より引用) 山本五十六の死から二年四ヵ月、山本さんが望んだ講和とは、ほど遠いかたちで太平洋戦争は終わりました。・・・
 その戦争も遠い昔ばなしになりました。歴史的事実が、かつての戦争指揮者たちの無為無策、根拠のない自己過信、底知れぬ無責任を示そうが、いまの日本人にはかれらはみんな遠い存在となりました。・・・
 しかしながら、してはならなかった昭和の長い戦争において、「万骨の空しく枯れはてた」のはたしかなのです。・・・それゆえにわたくしたちは戦争の悲惨を正しく語り継がねばならないと思います。・・・いくら非戦をとなえようが、それはムダだ、と思ってはいけない。諦めてはいけない。心の中に難攻不落の平和の砦を築かねばならないのです。

本書の「あとがき」で半藤氏はこう綴っています。



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