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「日本の経営」を創る (三枝 匡・伊丹 敬之)

元気にする仕掛け

 「V字回復の経営」等、企業再生をテーマとした著作で知られる三枝匡氏と経営学者伊丹敬之氏との対話という形式で、新たな「日本流経営」を創造しようと試みた著作です。

 日本的な経営といえば、必ず登場するのが「年功序列」です。

(p71より引用) 三枝さんの言葉で言うと、公式には認知されない、しかし、実質的にあいつの言うことを聞こうと多くの人が思っている若手や中堅社員がいた。その人たちの意見が実質的に通る、そういう仕掛けを上の人がある意味で意図して作っていた。だけど、形式的には年功序列なんですよ。

 職場社会の安定という面での形式的な「年功序列」を維持しつつも、実態として適切な意思決定や効率的な実務運営を実現する仕掛けが、「日本的年功序列組織」には埋め込まれていたという伊丹氏の指摘です。

 もちろん「年功序列」の弊害もあります。
 組織の年齢構成で、団塊およびそのすぐ下の世代が増えていった際、年功序列を維持するために多くの日本企業では管理職ポストを増やすことで対処しました。

(p76より引用) 若手の育成が非常に難しくなってしまったのは、結局、組織上層に上がっていった人たちが、仕事の権限を自分で抱えたまま上がっていったからなんですよ。そのために若手層には、普通のルーチン的仕事しかやらないサラリーマン人間が増えてしまった。非常に優秀な人材さえも、そうなってしまったということだと思います。

 「年功序列」は、次の世代を担う若手の育成に大きなデメリットをもたらしたのです。ルーチン業務しか与えられない社員が増えていけば当然企業の活力は失われていきます。経営に関わる意思決定能力をもったリーダーも育ちません。

 こういった弱体化した企業の元気を取り戻し再生させる仕掛けとして、三枝氏が推進した戦略が「『開発・生産・販売』サイクルの一体化」でした。

(p95より引用) 「創って、作って、売る」の機能をワンセット持たせる組織を、なるべく小規模になるようにデザインして、その中で経営リーダーや社員が自律的に計画を組み、意思決定し、事業を推進できる組織を与えると、かなり大きな事業でも途端に元気になります。

 三枝氏は、この少人数の事業責任をもった分権組織のマイナス面も同時に指摘しています。自分の事業の大きさの範囲しか見なくなる「チマチマ病」と、みんなが好きなことをやりだす「バラバラ病」です。
 この病気に対する三枝氏のワクチンが「ビジネスプラン審議」というプロセスでした。この審議の過程でトップマネジメントが事業の優先順位や整合性の調整を行なうのです。

論理化・抽象化

 アメリカの大学で学び、アメリカの企業・大学での勤務経験のある二人は、第一章でアメリカ流経営の9つの弱みを指摘します。

1.安易な多角化
2.高過ぎる配当性向
3.短期リターン志向
4.組織の非継続性
5.品質よりも目先の利益追求
6.ものつくりの弱さ
7.インスタント成金主義
8.社員の低コミットメント
9.所得配分の過度の偏り

 どれも首肯できるものですが、上記の弱点のひとつである「高い配当性向」の話から、伊丹氏は企業経営の基本姿勢について以下のように語っています。

(p21より引用) 企業は、「働いて会社を発展させている人々」への遇し方と、「お金を出してくれた株主」に対する遇し方の二つの間で、バランスをとらなければならない。このバランスのとり方で企業経営の原点は決まります。

 他方、日本企業にも数多くの弱点があります。
 三枝氏が指摘するそのひとつが、「コンセプト化能力の弱さ」です。

(p116より引用) みんなで残業して工夫をするとか、提案箱にたくさん提案を入れるなど、文字どおり汗を流して生産現場で「作り込む」ことは、アメリカ人など足元にも及ばないほど日本人は頑張ったのに、その現場手法を一段高いところから分析し、論理化し、新しい改革論や組織論に敷衍化し、それで会社を変えていくというような発想は、われわれ日本のビジネスマンは持てなかった。それが今日の日本企業の弱さを招いている面があると思います。

 この点については、伊丹氏も同様の主張をしています。

(p122より引用) 現実の自分の周りをしっかり観察し、自分や他人の過去のさまざまな成功と失敗の経験の中から、自分なりの「経験の理論」あるいは「経営の原理」抽象化できない人には、新しい環境の中で自社がどのような具体的な経営策をとったらいいのか、を考える基礎を持てない。だから、誰か他人の真似をしたり、ベンチマークと称していいとこどりを目指すしかなくなる。しかし、ベンチマークしても何をしても、自分の置かれた環境でどのような具体的な経営が最も適切なのか、その判断基準(つまり原理)のない人には新しい経営策の積極的な選択はできないのである。

 現場での経験を、一度「抽象化」した「経営原理」のレベルに引き上げないと別環境には適用できないとの考えです。
 そのことを伊丹氏は、「経営の具体策=原理(理念)×環境」という方程式で表しています。抽象度の高い原理(理念)を具体的な実環境にあてはめることにより、新たな具体的打ち手が生まれるということです。

 もうひとつ、本書で明らかにされているユニークな主張は、経営における「マインド」面の重視です。
 三枝氏は「マインド連鎖」、伊丹氏は「戦略の組織適合」というコンセプトで表しています。

(p153より引用) 組織適合という言葉の意味は戦略に合わせた組織を作るという意味じゃなくて、むしろ逆です。戦略の内容そのものが人の心を動かすようにできていることを、戦略の組織適合と言ったんです。人の心を動かせる戦略が重要だと言い出したんです。

 アメリカでは、戦略の内容と戦略の実行プロセスが二分されています。「戦略」は「経済学/マーケティングベース」、「実行」は「組織論/プロセスベース」です。
 こういった考え方に対し、伊丹氏は、

(p154より引用) わたしは、その二分法は間違っている、と言い出したんです。戦略の内容を考えるときにすでに、組織の人々の心理を考えなければダメだ、と言いたかった。

 最後に、数多くの企業再生案件に取り組んだ三枝氏の「再生・改革・改善」についてのコメントです。

(p241より引用) 重要なことですが、改善をたくさん積み上げたら改革に至るという考え方を、私は真っ向から否定しています。・・・
 よく「抜本改革」という言葉を聞きますけど、それが文字どおり「根こそぎ直す」ことを意味しているのであれば、再生という言葉の意味に近いと思います。ただ、抜本改革なんで呼んでも実際は大したことをやらない会社の方が多いし、改善程度のことを大げさに改革と呼んでいる場合もよくあります。世の中では言葉と実際がワンランクずれて使われていることが多いように思いますね。

 誰にでも心当たりのある指摘ですね。もちろん、私も含めてです。


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