見出し画像

歌謡曲―時代を彩った歌たち (高 護)

(注:本稿は2011年に初投稿したものの再録です)

平凡・明星

 もう40年近く前になりますが、私が中学生のころは、月刊の「平凡」や「明星」の付録についていた歌本が大流行していました。放課後には誰かのギターを囲んで、という風景です。

 本書は、私と同じ世代の方にはとても懐かしくまた面白く感じられるのではないでしょうか。「歌謡曲」を媒体にした世相史という位置づけも可能ですが、素直に「歌謡曲」の足跡をたどる目録・年表として眺めても十分充実した内容です。

 さて、そういう話題満載の本書から、特に印象に残ったくだりをいくつか書き留めておきます。

 まずは、「第1章 和製ポップスへの道」から。

(p17より引用) 日本の大衆音楽の歴史上、最も大きなムーヴメントのひとつであるグループ・サウンズ(GS)ブームとモダン・フォークの関係については注意深く多面的に認識する必要がある。・・・はじまりはエレキバンドが歌うことであり、フォーク・グループがロック化することだった。フォーク・グループのGS化の代表ともいえるのが、ヴィレッジ・シンガーズで、エレキ・バンドがフォーク寄りの楽曲でヴォーカルに取り組んだのがザ・サベージである。

 もちろんここには「ビートルズ」が厳然と際立ったエポックメーカーとして存在しています。

 つぎは、「女の子なんだもん」を歌った初期のアイドル派歌手「麻丘めぐみ」さんの評価について。

(p106より引用) 麻丘めぐみは自己を歌うのではなく、ひたすら「聴き手=あなた」を対象に歌うのである。聴き手はもちろん同世代の男性である。聴き手は歌い手(主人公)の心情や物語に感情移入するのではなく、歌われている世界に自己投影するわけで、これは歌謡曲のパーソナル化ともいえる現象で特筆に値する。千家和也による麻丘めぐみは南沙織によってはじまったアイドル・ポップスの進化型であり、ひとつの大きなエポックである。

 麻丘さんは私より少し年上になりますが、もちろんキラキラと輝いていたアイドル時代も知っています。さらには、今年(2011年)春、会社のイベントでお呼びしたのでとても親近感を感じているのですが、こういう位置づけの評価は新鮮です。

 そして、当然のごとく登場する吉田拓郎と井上陽水

(p108より引用) 井上陽水の音楽はそれ以前の日本のポピュラー音楽にはみられなかった歌詞が特徴である。よしだたくろう「人間なんて」の外に向けたメッセージは同世代の同性に多くの共感を呼んだが、「心もよう」に象徴される井上陽水の自己に向けた内省的な歌詞は文学的で自由詩の要素を多く含んでいた。

 この二人にかぐや姫が加わると、まさに私の中学時代の音楽の原点の登場ということになります。最初に買ったアルバムも拓郎でした。

(注:吉田拓郎さんも今年(2022年)、音楽活動に終止符を打つとのことです。)

歌謡曲社会学

 本書では、「歌謡曲」という対象を多面的に考察しています。

 歌唱・作詞・作曲・編曲・演奏といったパーツを多様な観点からテクニカルに分析したところもありますし、ミキサー・エコライザー・シンセサイザー等、音づくりに関する機器の技術面からの解説も興味深いものです。
 ちょっと長い引用になりますが、こんな感じです。

(p70より引用) いしだあゆみ奥村チヨの歌唱に共通する「小唄風」の歌い回しは同様の手法で、微細な表現を「レコーディング」という作業において可能にしたのは歌手の個性と技量はもちろんだが、ヴォーカルのトラックが他の楽器類とは完全に独立していることにある。・・・
 これ以降、音楽レコードはより立体的かつ臨場感あふれる芸術へと進化を遂げ、レコーディング・システムにおける歌手の表現方法は無限ともいえる広がりをみせて、奥村チヨの悩殺歌唱やいしだあゆみの小唄風ヴィブラートといった独創性が大いに発揮されることになる。90年代にCHARAやUAの臨場感に満ちた個性的な歌唱が多くのフォロワーを生んだが、先駆者は68~69年のいしだあゆみであり奥村チヨである。

 録音技術の進歩をトリガーに、奥村チヨとCHARAとを結びつける視点は著者ならではでしょう。

 多面的な考察のもう一つの視点が「世相」という切り口です。
 たとえば、1969年、佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」

(p78より引用) 「いいじゃないの幸せならば」は異色ともいえる四行詩で「恋の季節」と同じように時代の空気を鮮やかに切り取った作品である。激化する政治闘争と、70年代に中産階級を形成することになる一般市民の価値観や理想と現実のギャップが、後に「シラケ」という言葉で表現されることになるが、そのような時代の雰囲気が、抑制された曲調や演奏、歌唱と一体化されてクールに醸しだされている。

 岩谷時子作詞、いずみたく作曲の60年代最後(1969年)のレコード大賞受賞曲です。

 もうひとつ、だいぶ時代は下って、1982年、中森明菜の「少女A」

(p219より引用) 世の中は以前にもまして少しずつ軋みつつあったし、外形的な取り繕いもそろそろ疲弊しはじめていた。「少女A」は物質文明と管理社会のもたらした閉塞感や既成概念や規範への反発と同時に、社会に埋没してしまう「個」の不安を歌ったきわめて同世代的な歌謡である。

 この曲が流行ったのも、もう30年(注:初投稿は2011年)も前のことなのですね。

 歌謡曲は、大衆文化の代表的な具現形態ですから、その時代を象徴するタイムカプセルとしてひとりひとりの記憶の中に残り続けています。
 想い出の歌を耳にするとタイムカプセルが開き、その当時の懐かしいシーンが、また気分が、活き活きとあるいは薄いベールを被って甦るのです。



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集