嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え (岸見 一郎)
(注:本稿は、2016年に初投稿したものの再録です)
ここ数年で急激に書店での露出が多くなった「アドラー心理学」の入門書です。
私自身、まとまった書き物としての「アドラー心理学」をたどったことがなかったので、初歩的なところから覚えとして書き留めておきます。
まずは、「アドラー心理学」が拠って立つ基本的立場である「目的論」について説明している部分です。
過去に起こった事実は客観的なものであっても、重要なのは、「主観的に」今それをどう意味づけているかです。その意味づけにより “現在のあり方” が規定されるのです。
過去との因果関係に拠る論はフロイト的な「原因論」であり「決定論」ですが、アドラーはこれと対立する考え方に立っています。
アドラーは、過去の事柄を以て“できない言い訳” “なれない言い訳” にする考えを「見かけの因果律」と呼んで否定します。
そういった考え方は、自らライフスタイルを変えたくない、変える「勇気」を持ち合わせていないという姿勢に過ぎないというのです。
もうひとつ、著者がアドラー心理学における人間関係の型について。
「縦の関係」と「横の関係」です。
「同じではないけれど対等」という形です。「優越感」や「劣等感」も縦関係で生まれる感覚ですし、「操作」や「介入」も縦関係の中での行動です。
アドラー心理学は、「横の対人関係」において「課題の分離」(自分のタスクと他人のタスクの責任の峻別)をスタートに「共同体感覚」に達することを目指していると著者は説いています。
そして、それに至るプロセスとして、「叱る」でも「褒める」でもない “勇気づけ” という横の関係に基づく援助の重要性を指摘しているのです。
さらに、こう続きます。
さて、本書を読み通しての感想ですが、著者の主張には「6割納得、4割モヤモヤ」といった感じですね。
「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」とか「あなたはあなたのライフスタイルを、自ら選んだのです」といった主張については理解できるのですが、本書において「青年」が「哲人」から何度も何度も否定される「原因論的思考」については、(私も)完全に捨て去ることはできていません・・・。
やはり、どうやらこれは、もう少しアドラーによる「原典(に近い著作)」を読んでみなくてはならないようです。
(注:目的論は、「結果に原因は関係なく、今の考え方や価値観でどうなるかを選択しているに過ぎない」という考え方です。「結果」を「(自分以外の)原因」のせいにしないという点では、中村天風師のいう “人生は心一つの置き所” にも通じる考え方のようです。)
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