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嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え (岸見 一郎)

(注:本稿は、2016年に初投稿したものの再録です)

 ここ数年で急激に書店での露出が多くなった「アドラー心理学」の入門書です。

 私自身、まとまった書き物としての「アドラー心理学」をたどったことがなかったので、初歩的なところから覚えとして書き留めておきます。

 まずは、「アドラー心理学」が拠って立つ基本的立場である「目的論」について説明している部分です。

(p36より引用) 「人は感情に支配されない」という意味において、さらには「過去にも支配されない」という意味において、アドラー心理学はニヒリズムの対極にある思想であり、哲学なのです。

 過去に起こった事実は客観的なものであっても、重要なのは、「主観的に」今それをどう意味づけているかです。その意味づけにより “現在のあり方” が規定されるのです。

(p37より引用) 問題は「なにがあったか」ではなく、「どう解釈したか」である

 過去との因果関係に拠る論はフロイト的な「原因論」であり「決定論」ですが、アドラーはこれと対立する考え方に立っています。

 アドラーは、過去の事柄を以て“できない言い訳” “なれない言い訳” にする考えを「見かけの因果律」と呼んで否定します。

(p82より引用) 本来はなんの因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係 があるかのように自らを説明し、納得させてしまう

 そういった考え方は、自らライフスタイルを変えたくない、変える「勇気」を持ち合わせていないという姿勢に過ぎないというのです。

 もうひとつ、著者がアドラー心理学における人間関係の型について。
 「縦の関係」と「横の関係」です。

(p198より引用) アドラー心理学ではあらゆる「縦の関係」を否定し、すべての対人関係を「横の関係」とすることを提唱しています。

 「同じではないけれど対等」という形です。「優越感」や「劣等感」も縦関係で生まれる感覚ですし、「操作」や「介入」も縦関係の中での行動です。
 アドラー心理学は、「横の対人関係」において「課題の分離」(自分のタスクと他人のタスクの責任の峻別)をスタートに「共同体感覚」に達することを目指していると著者は説いています。

 そして、それに至るプロセスとして、「叱る」でも「褒める」でもない “勇気づけ” という横の関係に基づく援助の重要性を指摘しているのです。

(p205より引用) どうすれば人は“勇気”を持つことができるのか?アドラーの見解はこうです。「人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる」

 さらに、こう続きます。

(p206より引用) 他者から「よい」と評価されるのではなく、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。そこではじめて、われわれは自らの価値を実感することができるのです。

 さて、本書を読み通しての感想ですが、著者の主張には「6割納得、4割モヤモヤ」といった感じですね。

 「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」とか「あなたはあなたのライフスタイルを、自ら選んだのです」といった主張については理解できるのですが、本書において「青年」が「哲人」から何度も何度も否定される「原因論的思考」については、(私も)完全に捨て去ることはできていません・・・。

 やはり、どうやらこれは、もう少しアドラーによる「原典(に近い著作)」を読んでみなくてはならないようです。

(注:目的論は、「結果に原因は関係なく、今の考え方や価値観でどうなるかを選択しているに過ぎない」という考え方です。「結果」を「(自分以外の)原因」のせいにしないという点では、中村天風師のいう “人生は心一つの置き所” にも通じる考え方のようです。)



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