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哲学、脳を揺さぶる オートポイエーシスの練習問題 (河本 英夫)

 「オートポイエーシス」。今まで聞いたことがなかった言葉です。
 この本によると「自己の産出的形成運動」のことだそうです。といっても、これだけでは何のことかわかりません。

 哲学系の本は凝りもせず何冊か読んでみていますが、これも難解でした。
 その中でも、何となく分かった気になったフレーズをご紹介します。

 まずは、「新たなものを見いだすための見方」についてです。
 河本氏は「注意」ということばでそれを表していますが、私たちが普通に使っている「注意」とはどうやら異なるようです。

(p192より引用) 見方を教わって、それに合わせて焦点を絞ってみる。これは焦点的意識であり、言い換えれば「注目すること」(既に見えているものをよく見る)である。ところが自分で何かを見いだすさいには、焦点的意識とは別のものが必要になる。・・・学校教育では、観察にさいして、注意ではなく、焦点的意識、すなわち知覚を教えている。最短距離で物事を修得するために、それが最も都合がよいからである。だがそれが良い教育かどうかは別問題である。新たなものを見いだすことは、知覚ではなく、注意が向くかどうかに依存している。

 つぎに「パラダイム転換」について。
 「視点を替える」とよく言われますが、河本氏の考えはちょっと違います。意識して替えられるぐらいでは「全く新たな気づき」は生れないのです。

(p291より引用) 実際、転換のさなかにあってこの転換を成し遂げていく人たちは、視点の転換のようなことはしていないはずである。後に視点に要約されているものを、繰り返し試行錯誤を通じて形成しているのであって、転換すれば済むような視点はまだどこにも存在しないからである。・・・もっと困るのは、なにかを成し遂げていくためには、視点を切り替える程度では本来なにも変わらないことである。視点を切り替えることができるのは、既に切り替えることのできる視点を知っている場合であり、知っているものの間を既に転換している場合だけである。この場合、せいぜい他人の考え方に寛大になることができ、自分の取っている視点の相対的位置を知ることはできる。だからといって、そこから「ブレイクスルー」ができるわけではない。

 最後に、私にとって、本書の中で最も納得感のあったフレーズは以下のようなものでした。

(p19より引用) 情報化が進むと情報処理が先行し、戸惑うこと、躊躇、当惑のような心の局面はずっと減ってしまう。情報にとっては余分なことだからである。・・・感情は、使わないと消えてしまう。怒ること、怒鳴ることを控えて、まあまあと他人や事態を理解することばかりに努めていると、感情は消えてなくなってしまう。特に40歳以上になると、ことあるごとに努力して感情を動かすようにしないと、感情が消えてなくなってしまうのである。あえて感情的にならなければならない時期がある。現在、用いている感情の種類を数え上げてみてほしい。恐らくかなり少ない感情の種類で日常を送っていると思われる。・・・そうなると面白さの感覚が、とても平板なものになる。そのため余分な遠回りのようでも、あえて否定を用いるのである。

 家でも会社でも、人に会ったり話をしたりする機会が極端に減ってしまった昨今、私もまさに、意識して「感情」を活性化しなくてはならないようです。


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