軍艦島-眠りのなかの覚醒 (雑賀 雄二)
「軍艦島」。
長崎半島の南西海上に浮かぶ端島の別名です。
端島では1810年(文化7年)石炭が発見され、明治に入り海底炭坑の開発が本格化しました。1916年(大正5年)には日本で最初の鉄筋高層アパートが建築されたのをはじめ、50年代には周囲1kmほどの島に炭鉱関係者や家族ら5000人以上が暮らし活況を呈しました。
狭い島内に続々と高層アパートが立ち並び、島の外観が戦艦「土佐」に似ているということで軍艦島とも呼ばれるようになりました。
その軍艦島は1974年(昭和49年)に閉山、無人島となったのです。
本書は、軍艦島が無人島となって10年後、再び島を訪れた著者がその廃墟の風景を撮り集めた写真集です。
本書本編の写真集も淡々と原風景を切り取った感じで面白いのですが、巻末の雑賀氏によるエッセイも(予想外といっては失礼ですが)しっかりしたものでした。
閉山し人々が島を離れる3ヶ月あまりの期間、頻繁に島を訪れその折の人々の姿を書き残していきます。
そういった3月のある日、泊めてもらった家のご主人のことばです。
(p119より引用) 「端島に来る報道関係者は色眼鏡で島を見ている。第三者が見れば炭坑労働者は悲惨な生活をしている、仕事が辛いだろうというふうに見えるかも知れないが、決してそうではない。・・・炭坑は端で見るよりもずっと暮らしやすいところだ。
今までゆき過ぎた報道が多過ぎる。上野英信にしても、土門拳にしてもそうだ。悲惨な面ばかり追いかけて、また創り出している。本当の炭鉱の姿を見てほしい。・・・」
雑賀氏は閉山して10年後の1984年7月、再び島を訪れます。
本書の「追記」の中で雑賀氏は、「この写真集は無人島となって10年後から、感傷とは無縁の新たな眼で撮り始めたものである」と語ります。
(p133より引用) 写真を撮ることは見ることだ。見ることは考えることだ。・・・写真は個人の目の記録である。・・・
情緒に溺れた眼から、現実はますます遠ざかる。押し寄せる感情を押しとどめ、まっさらな心で目の前のものに向かい合うことだ。そのとき人は新たな視線を手に入れ、既成の概念(思い込み)を過去へ葬る。見慣れた姿や既知の意味を追認するのではなく。・・・今のぼくにできるのは、知っていると思わないこと。知識と経験は時として見ることの邪魔をする。
とはいえ、閉山当時の時間をまさに共にしたという雑賀氏ならではの想いは、新たな視線とは別に残っているような気がします。
それは決して邪魔なものではありません。