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生物の世界 (今西 錦司)

(注:本稿は、2013年に初投稿したものの再録です)

 久しぶりに「生物学」関係の本を手にとってみました。著者は「棲み分け理論」で有名な今西錦司氏です。

 本書は、今西氏の学究成果の中でも初期の代表的な理論を紹介した論考です。
 加えて、本書は今西氏にとっては、大きな決心のもとに書かれたものでした。それは、拡大する戦火を前に、自らの足跡を書き留めておきたいとの思いでした。

(p3より引用) この小著を、私は科学論文あるいは科学書のつもりで書いたのではない。それはそこから私の科学論文が生まれ出ずるべき源泉であり、その意味でそれは私自身であり、私の自画像である。・・・
 ・・・今度の事変がはじまって以来、私にはいつ何時国のために命を捧げるべきときが来ないにも限らなかった。・・・私はせめてこの国の一隅に、こんな生物学者も存在していたということを、何かの形で残したいと願った。

 今西氏の論考のスタートとなる世界観は、全てのものの“もとは一つ”というものでした。

(p13より引用) 私のいいたかったことは、この世界を構成しているいろいろなものが、お互いに何らかの関係で結ばれているのでなければならないという根拠が、単にこの世界が構造を有し機能を有するということばかりではなくて、かかる構造も機能も要するにもとは一つのものから分化し、生成したものである。その意味で無生物といい生物というも、あるいは動物といい植物というも、そのもとを糺せばみな同じ一つのものに由来するというところに、それらのものの間の根本関係を認めようというのである。

 この“もとは一つ”という基本コンセプトから、本書の前半では、生物と無生物あるいは生物と環境といった相互の関係性について哲学的論考にも似た思索が展開されます。

(p63より引用) われわれはいままで環境から切り離された生物を、標本箱に並んだような生物を生物と考えるくせがついていたから、環境といい生活の場といってもそれはいつでも生物から切り離せるものであり、そこで生物の生活する一種の舞台のようにも考えやすいが、生物とその生活の場としての環境を一つにしたようなものが、それがほんとうの具体的な生物なのであり、またそれが生物というものの成立している体系なのである。

 この環境も含めた今西氏の視座が「棲み分け理論」の源流ともなったのです。

 今西氏の生物社会観は、階層的構造をイメージしています。

(p128より引用) 地縁的共同体としての生物の全体社会が、われわれの眼に映るありのままの自然であり、一方では個体から種社会、同位社会、同位複合社会と総合していった最後的な、その意味では唯一な生物の全体社会でもある。

 このあたりから今西氏の立論はますます「哲学的」になってきます。その論考の基本概念のひとつが「種社会」ですが、その説明の一部はこんな感じです。

(p130より引用) 生物の種社会は一般にはその個体間に分化ないしは分業の見られぬ社会である。単なる個体の拡がりにすぎぬ平面的な社会である。それだけでは体系的に完結性をもたぬ一つの未発展の社会にすぎない。

 この「種社会」が血縁的・平面的に発展したものが「同位社会」、さらに「同位社会」が分業的に拡大したのが「同位複合社会」であり、全体としての生物共同体は、こういった成り立ちで社会組織としての構造を備えていったとの説です。

 こういった生物界の組織構造を前提に、今西氏は独自の進化論を展開します。

(p153より引用) 変異ということそれ自身もまた主体の環境化であり、環境の主体化でなければならぬ。・・・よりよく生きるということの表現でなければならぬ。・・・生物の生活がこのように方向づけられているからこそ、環境化された主体はいよいよ環境を主体化せんとして、いよいよ環境化されて行く。適応の原理はここにあるであろう。

 今西氏は、生物は「生活の方向」をもっていると考えています。生物はこの方向に向かってよりよく適応しようとするために変異が起こるというのです。
 一般的な「自然淘汰説」は、ランダムに変異した個体のうちのあるものが生存競争の適者となり、変異しなかったものは次第に滅びていくという考え方ですが、今西氏は、種自身に環境とシンクロした変異の傾向が決まっていると考えるのです。

(p154より引用) 同じ生活をなすものであるがゆえに彼らは同じ生活の方向を持ち、したがって同じ変異を現わすべく方向づけられているといえるであろう。それはかならずしも全個体が同時に変異を現わすものでなくてもよい。世代を重ねて行くうちに次第にそのような変異を呈する個体の数が増して行って、いつの間にか種自身が変ってしまうのである。

 現在では、本書で提唱されている今西氏の棲み分け理論や生態学的進化論は広く支持されている学説ではないとのことですが、生物社会学ともいうべき科学哲学的著作としてはユニークで、なかなか興味深いものではありました。



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