京都の平熱 哲学者の都市案内 (鷲田 清一)
(注:本稿は、2013年に初投稿したものの再録です)
「京都」というコトバには独特の響きがありますね。
本書は、京都生まれの哲学者鷲田清一氏による「京都の町」「京都の人」をテーマにしたエッセイ風の読み物です。京都に馴染みのない私にとっては、とても興味深いくだりが満載でした。
まず、私などは、「京都」といえば「日本の古都」というイメージをいの一番に思い浮かべますが、著者によると、それは「単層的な歴史都市」ではないという解説になります。
こういう複雑系の時代感覚を、古いものと新しいものとが唐突に混在している「おしゃれな猥雑さ」と著者は表現しています。
次に「祇園」。
祇園といえば「典型的な京都らしい風景」と思いきや、かつての祇園は、そういう現在のイメージとは程遠く、「混沌とした際どい雰囲気」を宿していたようです。
世俗の滓が堆積し襞模様を織り成していたのが「祇園」でした。
京都の「人」についての著者の評価も、私たちが一般的に抱いているものとは異なります。
このあたりの指摘は「人」に限らず「街」についても語られています。
京都は、ザ・タイガース、ザ・フォーク・クルセダーズ、あのねのねといった“けったいな”グループを生んだ街でもあるのです。
ただ、こういった「京都」も最近はかなり様変わりしてしまいました。
こう語りつつ、鷲田氏は、2000年に発表された「京都市基本構想」では京都市基本構想等審議会副会長として、取りまとめの中心役を果たされました。
その中で整理された「京都の6つの得意技」は、“なるほど”と思わされるものです。
さて、このエッセイは「京都の街」「京都の人」の紹介が中心ですが、それはとりもなおさず「京文化」を紐解くものでもあります。
そういうテーマ自体、とても魅力的ですが、著者独特の視点や著者一流の軽妙な語り口にも面白いものがあります。
たとえば「うどんの佇まい」の一節。
このコンテクストは、東京生まれではありますが京都帝国大学教授であった九鬼周造の「いきの構造」における「縞模様」の考察に続いていきます。
最後に、本書を読み通しての感想です。
鷲田氏流の京都案内の中に、これまた鷲田氏流の哲学的エスプリがトッピングされたとても面白い一冊でした。
ここで書かれている内容について、是非とも、ほかの京都の方々の受け止め方も伺いたいですね。