清貧と復興 土光敏夫100の言葉 (出町 譲)
(注:本稿は、2012年初投稿したものの再録です)
石川島播磨重工業・東京芝浦電気の社長、経団連会長を歴任、さらに齢80歳を過ぎてなお、第二次臨時行政調査会長として日本再建に尽力した土光敏夫氏。
その清廉・実直な人柄とともに、土光氏の「言葉」は、ビジネス社会に留まらず、人間の生きる姿勢として普遍的な価値を持つものだと思います。
また、東日本大震災・福島原子力発電所事故からの復興の途にある今、さらにその精神・姿勢は重みを増しているのです。
本書は、まさにその土光氏の至言集です。
「執念」という言葉は昨今あまり流行らなくなりました。「執念」、とても真っ直ぐで純粋な心だと思います。
この実直な姿勢は、意外なシーンで証明されました。
1954年、土光氏は造船疑獄事件で逮捕された105人のうちの一人となりました。拘置所の調べ室では検事と被疑者は1対1で全人格的に対立します。
その事件の取調官であった元検事総長伊藤栄樹氏の述懐です。
土光氏は「金」で政治に対して影響を与えようとは決して考えませんでした。そして、自らも「贅沢」とは無縁の生活を送っていました。
土光氏自身、こう語っています。
土光氏は、人を大切にした経営者でもありました。現場の社員・ビルの守衛の方とも分け隔てなく接し、女性の職場の地位の向上にも配慮しました。
それは、「人を信じる経営」とも言えるでしょう。
大企業の経営者・経団連会長という要職での実績は、土光氏に「日本の改革」の道筋をつけるという大役を担わせることになりました。
土光氏にとって「行革」は、日本の将来ビジョンを描き実行するプロジェクトだったのです。そして、「行革推進全国フォーラム」の代表世話人には、本田宗一郎氏・井深大氏という当時の財界の超大物も加わったように、土光氏の要請を受けた多くの財界人がこのプロジェクトの支援に尽力しました。
臨調の主要メンバの一人だったウシオ電機会長牛尾治朗氏は、当時を振り返ってこう語っています。
これもまた、土光氏の人間的な魅力を端的に表した言葉です。