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あと10日しかない冬。夜の京都【GRと散歩】
先週は用事で京都の河原町へ行った。
世界多分一周旅へ旅立つのが10日後に迫ってきているし、あまり人の多い町をうろうろしたくはなかったが(それに旅の準備もろくにできていないし)、河原町で用事を済ませて夜の八坂神社、そして京都駅までゆっくりと京都タワーを目指してRICOHのGRを持って歩いて帰ることにした。
河原町に着いてから、行ってみたかったkoe donutsへ。テイクアウトでドーナツを買ってお手洗いを借りて店の中の世界観を素早く堪能して店を出た。
ここは、私の好きな建築家の隈研吾氏の手がけた店。木材を使った独特のデザインは、いつも見ただけで隈研吾だとすぐ分かる。
嵐山の竹を使った竹かごが天井を覆っている。和の世界とドーナツのコラボから、ドーナツの穴のような風通しの良い雰囲気を感じた。
(富山でも隈研吾の作った図書館に寄った、旅の思い出)
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キャロットケーキドーナツ、黒豆ドーナツなど和のテイストのドーナツなど地産地消の商品に、ファクトリー見学もできる造りで本当に素敵な店。長旅から帰ったら店の中でゆっくり食べたい。
お気に入りの町家カフェ「omo cafe」を、今日は遠慮して通り過ぎる。
クリスマスを感じながら道を進み、用事を済ませたらもう日が沈んでいた。
暗くなるのが本当に早くなった。
もう冬である。
だが、私の冬はあと10日で終わる。
私のこれから先の一年間は、常に夏に追われるような日々になると思う。夏になる前の暖かい気候の土地を旅して西へ進む。そう考えると、この寒さも、シンとした夜の静けさともしばらくお別れだから、名残惜しくもある。
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鴨川を渡り、南座、花見小路をぶらぶらと通り過ぎる。
漢字ミュージアムの入り口に「今年の漢字」が年毎に飾られていた。「震」「密」などの漢字が並ぶ。何が起こった年か分かるものと分からないものとがあった。
オリンピックのあった2016と2021年の「今年の漢字」は「金」で、外国人観光客の4人組に若い日本人の男性が「金is gold.」と説明していた。それくらいは私も言えるが、その後の英語の説明が流暢で素晴らしかった。あれくらい喋れるようになりたいなぁと羨望の眼差しで外国人観光客に混ざったのだが、私が突然そこに混ざって聞いているのを不審に思われたのか、その男性は英語での説明をやめてしまったので、申し訳なくなり急いで立ち去った。
私も日本人がいるところで英語を話すのが嫌である。英語が下手くそだと思われるんじゃないかとか、そういう意識が働いてしまう。学生時代など若い頃は、あの人あんまり英語の発音が良くないねとか、自分のことを棚に上げて誰かが誰かをジャッジする場面が多くて嫌だった。私の時代は、英語の発音がやたら上手い同級生は笑われたりしていた。良くなかったな、今思えば。思春期特有の照れもあっただろうが。右にならえで、先生もクラスメイトもみな下手くそなカタカナ英語の発音をして、みんなで安心するという空気感。
だからポツンと上手い人が1人いたら同調圧力でその人を笑ったりすることで才能を潰していたかも知れない。そういう発想って古き日本的なものなのだろうかと思う。
今は英語を教える側も発音が上手な先生が多く、ネイティブな発音を堂々と話す子どもたちも多いから、そっちが普通になっていて、学校の授業で得意げにネイティブな発音で英語を話しても昔ほど笑われないと自分と同世代の、子供がいる人から聞いた。それはとてもいいことだと思う。
ワールドカップの日本代表の若い世代を見ていると、「自分が決める」という揺るがない自信を持っていて惜しみなくその自信を表現する選手が以前よりも増えているように思う。
時代は変わってきている。
日本の教育の発展なのか、海外での経験から得たものなのか。前者だったらいいけど、きっと後者なのだろうけど。
そんなことをぼんやり思っていた。
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八坂神社が見えてきた。
紅葉はほとんど終わっていたが、神社の朱色に助けられてまだまだ紅葉が残っているような錯覚になった。
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河原町からJR京都駅までの3kmと少し、お馴染みの道を選んで京都タワーを目指して歩いていく。ドーナツやおにぎりを食べながらゆっくり歩く。
河原町での用事は、12年間、一緒に働いてきて、コロナ禍の初期に病で去った方のお墓参りであった。
その方の下で長く働かせてもらったことは、感謝してもしきれない。
教えてもらったことは数えられないくらいある。今のこの仕事をする上で大事なことのほとんどは、この方の言葉と背中で見せてくれたものでできている。
いつもとにかく私を信じて仕事を任せてくれたし、私のことを悪く言ったことは一度もなく、恥ずかしいくらい外でも私を褒めちぎってくださっていたので、「まるで親バカですよ」と私がたしなめたことも何度もあった。
今、たくさんの人たちが私の退職前に挨拶をしにきてくれているが、それははっきり言って私の力ではなく、その方の人徳である。
その方にお世話になった人たちが、今は亡きその方の代わりに私にお礼を言いにきてくれているように感じる。とても光栄なことである。
お墓の前で、勝手をして辞めることを詫び、これからもっと自由に生きる道を選んだことを報告した。
数年前、毎年恒例の私の長期休暇の前夜に、「今年も旅に出るので、3週間有休で休ませていただきます」とその方に報告に行った時に言われた言葉を思い出す。
「俺は患者さんのためだけに、休みも取らずに自分の人生を捧げてきたけど、あんたみたいな生き方もあったんやなぁ羨ましいなぁってこの歳になってちょっと思うよ。そうやってガッと休んでまたバリバリ働くあんたのスタイル、面白いな。」と言ってガハハと笑っていた。
その1年後にその方は亡くなった。
最期まで仕事に人生を捧げていた。
私は先生のようには生きられない。
でも、こんな形でしか生きられない私を、丸ごと肯定してもらえたこと。
とても感謝しています。
ありがとうございました。
先生、ゆっくり休めていますか。
きっと何かの形で先生に恩返しができることを、誰かの手助けとなる仕事をまた見つけたいから、それまでまたちょっと旅に出るのでお休みをいただきます。
やっとそう報告することができた。
コロナ禍でお葬式にも出られず、お別れ会もできていないまま、2年半。
少し心の整理がついた気がする。
先生がどう思っているかは、もういないから分からない。
「きっと背中を押してくれているはず」「きっと届いてるよ」って本人以外がそう解釈するのは簡単だが、そういう考え方はどうとでも自分の都合の良いように解釈できるので、私はあまり好きではない。
だからそれよりも、自分の心の整理ができたこと、それだけでいい。
感謝の気持ちでいっぱいになっている私の心。
前に進めると思えたこと。
きっと、それが答え。
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