おせっかいな自分
今朝やらかした出来事への自戒を込めて。
(ごめんなさい)
私は自分の中の嫌いな所の一つに
押し付けがましいというところがある。
それが相手にとってプラスにならないというのに、
自分の意見を押し付けてしまって、
あとで自分にがっかりすることがよくある。
誰かが困ったり、悲しんだりしているとき、
なぜだか自分もとっても苦しくなってしまって、
私の頭の中の扁桃体が非常ベルを鳴らし始める。
緊急事態発生!
それで、なんとか良い方向に気持ちが変わるようにと
勝手にあれこれと解決策を思いめぐらせてしまう。
そして、求められていないのに、
自分なりの答えを勝手に押し付けたりしちゃう。
あー、ほんと最悪。
おせっかーーーい!!
困っているのはその人であり、私ではないのに、
その人の困り感を私が横取りしてしまう。
わかってるのに、なんでか繰り返してしまう。
誰にだっても、困ったり、悩んだり、落ち込んだりする権利があって、
ネガティブと言われるような感情を
すぐにポジティブに変える必要はないし、
それを表に吐き出したからと言って、
「解決策を教えて」と言っているとは限らない。
感情は抑圧しても消えないし、
無理に変えようとしても変えられない。
感情を消化するには、『感じ切る』しかない。
だから、辛くてもその感情にじっくり向き合うことも時に大切。
「そうなんだね、辛いんだね。」
と、その人が感じていることを否定せずに、変えようとせずに、
ただ側に寄り添うような関わりができたらよかったのに・・・
わかってるのに、どうして繰り返しちゃうの?
今日は、そのことが本当にショックで、
何度も自分を責めてしまった。
(前の記事に書いた『自分を責めるイメージと身体感覚』)
でも、今日は、そんな自分を責める自分にやられっぱなしではなく、
一つ先に進みたくて、そのことにじっくり向き合ってみた。
そして、気づいたことがあった。
誰かが辛い時、いつも自分もとても辛くなるんだけど、
きっとどこかで、そんな自分を『否定』している自分がいるんだと思う。
他人の事なのに、自分がこんなに辛く思うなんておかしい。
大げさ。なんでそんなに影響受けちゃうの?
私は、共感性が高すぎて、実はとても困っている。
他人の感情が自分の中にスッと入ってきてしまう。
たくさんの人がいる中で、
たった一人でも辛い思いをしている人がいると、
感情がそこに引っ張られてしまう。
それは、目の前に誰かがいなくても同じで、
誰かが悲しいと思っているかもしれない・・・
と思うだけで勝手に自分も悲しくなってしまう。
共感疲労
そんな自分が嫌なんだけど、
そんな自分をちゃんと認めてあげることが必要なのかもしれない。
相手と同じように、自分も辛さを感じていいよって
言ってあげられたらいいのかもしれない。
そして、普段から感情の振れ幅自体もとても大きくて、
特にネガティブな感情はとても抱えきれず、
「そのまま」にしておくことがなかなか難しい。
夜中に一人で瞑想しているような、
いわゆる非日常の時間と空間が確保されている時には
ネガティブな感情ともじっくり向き合い、
共に過ごせるようになってきた感じはある。
でも、忙しく流れてゆく日々の生活の中でそれをやることは、
まだ今の私にはなかなかできない。
辛さに向き合えなくて、つい感情に蓋をしたり、
無理やりポジティブ変換しようとしてしまう。
そう。
自分の感情にもおせっかいな『答え』を押し付けたがる自分がいる。
「そんなネガティブ感情に引きずられてないで、
早くそこを抜け出しなよ!」って。
えーーー
もう、ここまで書いて、
自分、超めんどくさい(笑)
やっぱり行きつくところは、
いつもセルフコンパッション。
大切な人にするのと同じように、
自分自身にも優しさを向けること。
マインドフルネスを学び始めてから
ずっと私の課題になっているもの。
頭では理解していても、
瞑想中にはできても、
日常生活ではなかなか威力を発揮することができない
ちっちゃなちっちゃな私のセルフコンパッション。
少しずつ育てて行きたい。
だから、今日は、
今朝やらかしちゃった相手と、自分自身に、
同じように心の中で声をかけよう。
「優しくできなくて、ごめんね」って。
次はきっと
「そのままで大丈夫だよ」って言えますように。