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「スマホ依存」は現代人の必須スキル

【昔から「XX依存」は言われていた】
昔から「XX依存」は言われていた。良く聞くのは「薬物依存」。これは身体的な病気と心理的な病気の両方を言うようだ。また、夫婦などでも「パートナー依存」なんてのも、かなり昔から言われている。これはもちろん心理的なもの、ということだろう。

【「依存」は悪いことか?】
良く考えて見なくてもわかるが、現代人の全てと言っていい人は「電力依存」しているわけだし、子供なら親に依存しないと生きていけないし、なにかしら「依存」があって、はじめて人間が人間として生きていける、というものだろう。完全に独立して生きていける人間はいない。人間は社会を持っていて、その社会のつながりの中でしか生きていけない動物だからだ。つまり「依存」という単語には悪いイメージはもともと無い。

【そうは言うけど「依存」がないと生きていけない】
スマホとそのインフラのシステムへの人々の依存は、10年くらい前では「ケータイ脳」と言われ、今また「スマホ脳」と言われ、この20年くらいでこの表現が出てきた。新しい、庶民どうしを国境を超えてさえ結びつけるコミュニケーション手段は「依存」という言葉で、かつネガティブに扱われてきた。なぜこういうものは「病気」のように扱われ、ネガティブに扱われるのだろう?しかし、一方で、行政サービスはじめ、スマホは現代人が生きていくために必須なものにさえなっているから「必需品」と言っても良いだろう。必要があれば、一日スマホの画面を眺めないといけないときだってある。現代においては他人とつながるためには「スマホ」が必須、という時代になってきたから、それに依存する生活になっていくのは、これからも生きていくかなり多くの場面で「当たり前」になっていくのは、想像に難くない。

【なにが「悪い依存」なのか?】
哲学の話で善悪が語られるとき、良く言われるのは「善と悪」は「過剰と不足」で語られるのではないか?ということだ。その考え方によれば「過剰と不足」という「状態」を「悪」と言っている。「不足」だけではなく「過剰」もまた「悪」である、というのだ。すなわち「不足でも過剰でもない状態」が「善」ということだね。食べ過ぎると身体を壊すが、全く食べないのは飢餓になってこれもよろしくない。適切な量を食べるのが良い、ということだな。つまり「スマホ依存」などは「過剰に依存しているという状態」が「悪」とされている。つまり「スマホ依存は悪」ということだ。「悪」というのは、人間に悪い影響を与えるモノ・コト、ということだね。

【時代がすごいスピードで変わるから】
結局「スマホ依存」は、当人にとっては、なるべくしてなるものなので「過剰」と「不足」の判断が「偏っているのではないか?」ということになる。では「誰から見て偏っている」なのか?という問題になる。この判断の基準が、時間の流れとともに急激に変わっていて、人の一生の中でこの激変がいとも容易に何度も何度も起きている。スマホ以前のケータイの時代のテキストメッセージングは、2000年くらいに始まり、2022年には(機器はスマホに変わったものの)これなくしてはビジネスも生活も成り立たない。「非常に短い時間での急激な変化」が生じた。人の一生の時間の中で、こういった変化が何度も起きるのが現代という時代だ。「先代の考え方を受け継いで」くらいなのんびりとした時間の流れの速さが変わった。今や人の一生のうちに何度も激変が起きる。人間は長らく、現代にあっては「遅い」と言われる時間の流れに慣らされて生きてきたので、この変化のスピードに戸惑う人は当然増える。人間は何万年の歴史の中で今となっては「スローなもの」に慣れきっている。

【現代における「過剰」とは】
前の哲学の話に戻ると、現代という時代において「過剰」なものとは、すなわち「単位時間当たりの変化の数と質」という、極めて抽象的なものになるのだろう。スローな時代に長く慣れてきた個人から見ると「過剰に速い時間の流れ」が「悪」なのだ。そして、「スマホ依存」とはそういうものの1つにすぎないのではないだろうか?

【生きていくために「適応」する】
若い人間がその先の人生をより良く過ごすために、つまり「善」の状態でいるために、この「急激な時間の流れ」に抗するのではなく「適応」するために、スマホに「依存」していく。それは環境への適応なのだが、その前の世代から見ると、それは「悪い(新しいものへの過剰な)依存」のように見える。1世代という短い時間の中で何度も起きる急激な変化に、人は適応しないと生きていけない(スマホによるコミュニケーションで社会を作っていく)時代に入ったのだろう、と考えるしかない。

【「スマホ依存」は「生存のための適応」】
どうやら「スマホ依存」というのは、現代人がこの短時間・急激な変化に適応していく姿そのものを、その前の「のんびりとした時間の流れしか知らない世代」が表現した言葉なんだろうな、というのが私の結論だ。どちらが正しくてどちらが間違っている、ということでもない。時代による環境の変化が、そこにあるだけなんだろう。

【zoomで井戸端会議】
先日、某所で主婦(←この表現自身がもう縄文時代のものにさえ聞こえる)の方に伺ったところでは「最近は主婦どうしの井戸端会議もzoomでするのに慣れた」ということだった。このご時勢だから、リアルで会うのは時々でいい、と。「洗濯しながら会話できるしね」。

もう「スマホ依存」という言葉は自然になくなっていくのだろう。

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