norihiromita(三田典玄)
三田典玄が語るIoTについてのあれこれのノート。技術情報だけじゃなく、世界の動向とかも詳細に解説。
【折りたたみスマホはやめた】 結局、キャリアのプランで「要返却」の2年めになったので、2年間使っていた「Galaxy Z fold 4」は返却した。新しい2年めの機種は、折りたたみではないタイプにした。おそらく、このほうが長く使えるだろう。2年目を過ぎても、そのまま返却せずに、3年目の支払い終了まで持っているんじゃないかと、そんな気がしている。 【折りたたみスマホは良かったが】 折りたたみスマホはなにかと他の人に見てもらう、という用途には、タブレット代わり、PC代わりに良か
【社会人と障害】 既に社会人になって40年以上になったのだが、世間には、五体不満足、だけではなく、外見からは見えない「疾病等」「脳の障害」を持ち、それがために「普通」と言われる人生が送れない人がいかに多いか?が、分かって来た。 【障害ではなくとも「気質」】 さらに「障害」と言われるほどではなくても、ボーダーかそれ以下でも、社会生活を、その「気質」があるために何処かで躓く、という人もかなり多い、ということがリアルに分かって来た。 【「気質」とボーダー】 例えば、浮気性とかサ
【PCを担いで鎌倉駅前蔵書室に行く】 「鎌倉駅前蔵書室(カマゾウ)」という「地域コミュニティ」に良く最近は行く。逗子に来た2018年から会員だが、既に6年が経過した。間でコロナ重症化、大腸がん、などなど、個人的事情で、なかなか行けない時もあったが、最近は仕事で忙しくて行けない。しかし、リモートワークも増え、軽くなったPCを担いで行けるようにはなって、医者から毎日歩くように言われているから、とりあえず動けるときはPCをお供にお邪魔するようにしている。 【地域に溶け込めない】
【連絡が取れない!】 自分がコロナで重症化して2週間ICUにいたとき、1週間も経たないうちに「連絡が取れない。おかしい」と気がついてくれた人がいた。それまでは毎日連絡をしているし、なにかと毎日SNSに書き込みをしていたから、自分になにかあったのを、友人や知人にわかってもらったわけだが、自分としては突然のICU入りである。どうしようもなかったのは言うまでもない。 【常に書き込んでいた】 自分の場合、コロナのとき、最初、軽症で一般病棟に行き、数日で重症化した。その軽症の数日の間
【生死をさまよった経験】 毎度繰り返し書くが、2020年にコロナ重症化、その後の大腸がん、と、入院、手術、闘病が続いたが、その前は2019年に講演出張先の諏訪湖畔のホテルの風呂で転んで頭蓋骨を割ってしまい、気を失った。約半年の治療でなんとか終わった。この時も死にかけた。 さらに遡って2006年にも死にかけた事故があった。 【後遺症は今のところないが、限界はあるよなぁ】 人生はいろいろあるが、今まで後遺症は無く、今回のコロナ重症化でも、PTSDはあったが、なんとかなってきたの
【3回めの安部公房展】 安部公房展への訪問3回目は仕事の合間に訪れた。いろいろ確かめたいことがあったからでもある。見終わって暮れて行くこの神奈川近代文学館の「寿司喫茶」店「す・す・す」からの景色も素晴らしい。静かだ。自分以外誰もいない。 【表現者:安部公房の育った時代】 安部公房の作家としての全盛期はやはり昭和20年から30年くらいで、ぼくが産まれる頃までなんだな。27歳で芥川賞を取る前後の時期になるが、やはりこの時期の彼の文学は、世界に紹介されるだけのものがあったように、
【日本の大企業は来ない】 経営学では名前の売れている若手、入山先生の記事。 これを見て「そりゃそうだ。」と思った。 【日本の上場大企業の歴史の元は「朝鮮特需」】 日本の大企業、特に製造業と、それを支える金融業や銀行業など、さらにその人たちの衣食住を支える大企業のほとんどは、戦後5年の1950年、お隣の朝鮮半島で起きた朝鮮戦争による「朝鮮特需」から大きくなった。朝鮮半島という日本の隣での戦争では、中国軍が加勢した北朝鮮軍は非常に強力で、韓国軍・米国軍はかなり苦労し、損失も大
【横折り・縦折り】 「折りたたみスマホ」が少しずつユーザーを増やしている、というのが実感だ。この「折りたたみ」には2種類ある。 1.横に折りたたむもの 2.縦に折りたたむもの なんだが、この2つは完全に似て非なるもの、という感じだ。 1.横折は「普通のスマホ+タブレット」 2.縦折は「よりコンパクトに持ち運べる普通のスマホ」 というように覚えておくと良いだろう。営業などで頻繁に説明のために大きな画面を持って歩きたいが、スマホでは画面が小さすぎる、という場合は「横折タイ
【インターネットは「バーチャル(仮想)」であった。昔はね】 昔はインターネット世界を「バーチャル(仮想)世界」といい、現実の世界の「リアル」と分けることが流行っていた。しかし、いま、そういう言説はほとんど聞かない。かつての「バーチャル世界」は、今は「リアル」そのものになっているからだ。 【インターネットは人間の地域に根ざした文明を変える】 インターネットで国境は消え、地域、宗教、文化は地域では区切りができなくなった。インターネットがそういう世界を作るのは、我々は意識してやっ
【AI研究者ノーベル賞受賞でざわつく人たち】 AI研究者がノーベル賞受賞、でかなりざわざわしている界隈があるようだが、実際にノーベル化学賞受賞者の方々と接してきて思うのは「その議論、今ひとつなんかずれてる」なんだな。 【ノーベル賞の元は】 もともとノーベル賞は「物理学」をはじめとした自然科学分野の賞で、工学的発明には適用無しだった。しかし、近年は例えばCTスキャナーの開発などには適用された。また、分子生物学分野でも例えば山中先生らの共同研究になる「iPS細胞」は「iPS細胞
【リベラル・アーツの定義】 「Liberal Arts」とはなにか?一例として学科として「Liberal Arts」しかない日本の大学「国際キリスト教大学(ICU)」では、その定義を「個人の能力を開花させ、困難や多様性、変化へ対応する力を身につけさせ、科学や文化、社会などの幅広い知識とともに、より深い専門知識を習得させるための学習方法」としている。「学習方法」を習う大学が「ICU」という大学、と言うことになる。なんだかわかりにくいが、私としては「学習方法」は、できれば自分の自
【かつて日本は貧しかった】 「芸人」は、100年くらい昔までは「河原乞食」と言ったんだな。今はエンターティナーと洒落た名前になっているんだが、なぜ「乞食」と下げずまれたかというと「生産活動に直接関与していない(できない)」から、なんだね。世の中全体が貧しい時代には、食っていくことが最大の問題。であれば、食っていく仕事をする現場から排除された人は、命短く死んでいった。そして、そういう人がおそらく生産活動にはあまり役に立たない、しかし少し広い場所である「河原」で、人目を引く「見世
【「全力を尽くさない」メリットがある】 大学駅伝とか様々な個人の優劣を競うスポーツは、競技者全てが横につながり、それぞれが全力を尽くさず、合意のもとに完全に横並びでゴールすると、競技が成立しない。しかし、誰もが「敗者になるのが嫌だ」ということで共通の損得関係があるわけで、そういうことも起きて不思議ではない。駅伝ほど多くの人に目立つ場ではなくても、運動会の徒競走とかまでになれば、おそらく「みんな平等の教育」の場ではむしろ、推奨されることだってあるかもしれない。実際、競争入札の現
【面白そうだ、で始める】 自分がやっていることは仕事がその筆頭だが「これ、面白そうだね」であって「世の中を変えていきそうだね」なんですね。だから、いまの今まで「誰かに言われたからやる」は正直なところ「無い」。 【だからこそ組織でやっていける】 結果として自分は組織の人間ではないので、組織の中では、逆にしっかりと言われたことをする。何故かと言うと、むしろそういう働き方が新鮮と感じるんだな。自分とは違う価値観にどっぷりと浸かって、自分の価値観を検証もするし、それを面白がり、自分
【紫陽花の季節ではなくとも】 紫陽花の季節なら、雨の鎌倉というイメージが湧く事が多いだろう。実際には紫陽花の季節ではないこの時期に雨になると、むしろ鎌倉のお寺には人が少なく、濡れた緑、雨の水滴が落ちる枯葉をためた手水など、今の季節ならではのいい感じの映像が結構多くなるのだ。しっとりと雨の中をお寺を巡って歩くと、実は鎌倉というところはこんなところか、と、言う新鮮な出逢いが、そこここにある。雨の中、カメラを持ってお寺の写真を撮りに行くことも結構いままで多かったが、そんな時に限って
【フォルクローレのライブ】 日曜日は「レイ・アルフォンソ・正田」さんのフォルクローレのソロのライブにお邪魔した。フォルクローレは南米の音楽だが、日本には愛好者は他の分野の音楽愛好者より少ないだろう。一番有名なものはサイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」になるだろうが、もちろんそれだけではなく、多くの楽曲がある。「素朴」。一言で言えばそういう音楽だが、本当にそれしか言うことはないくらい単純で、それでいて人の静かな心を撃つ曲が多い。 【現代の音楽の対極にある音楽かも