「病気」「気質」「ボーダー」。
【社会人と障害】
既に社会人になって40年以上になったのだが、世間には、五体不満足、だけではなく、外見からは見えない「疾病等」「脳の障害」を持ち、それがために「普通」と言われる人生が送れない人がいかに多いか?が、分かって来た。
【障害ではなくとも「気質」】
さらに「障害」と言われるほどではなくても、ボーダーかそれ以下でも、社会生活を、その「気質」があるために何処かで躓く、という人もかなり多い、ということがリアルに分かって来た。
【「気質」とボーダー】
例えば、浮気性とかサイコパス、依存、などと言うのはいま、誰でも普通に聞いたことがあるだろうが、これらの「気質」、それの原因となる「気質」だってあるだろう。今はまだ、それらは「個性」だが、近い将来、それらが全て「個性」ではなく「病気」として「診断」されるとしたら「正常な人」とはなんなのだろう?と思ってしまう。しかも、これら言葉になっている、言い換えれば社会的に認知されている「気質」以外にも、もっと多くの「気質」が、この世の中にはあるかもしれず、それは後でわかってくる、ということもあるかもしれない。
【「精神疾患」は「個性」か?】
今、精神疾患の一部は、かつては「個性」として一般的だったものだってあるのだ。「人」の生き生きとできる場所が、時代とともに、その個性のために狭まっている、というようにさえ感じられることもあるだろう。その「平均から外れた個性」が、社会生活を営むときに生きる障害になる度合いによって「疾患」と「気質・個性」が分けられるのだとしたら、社会のほうも変わっていくのだから、「病気」とそうではないもののボーダーなど、時代とともにどんどん変わる、ということだ。
身体的特徴だって、昔は「個性」、今は「病気」。そんなものもある。
それらは全て時代とともに変わる。
そう思っておくのが、より良い人生を過ごすことができる基礎のようなものなのだろう。