「使いやすさ」の正体
【最近増えた?Androidスマホ】
最近、都内でもAndroidのスマートフォンを持つ人が増えたのを感じている。一方で、まだiPhoneも多いなぁ、とも感じる。明らかに、よく言われる「Android vs iPhone」のシェアは変わってきているんだろうなぁ、と思う。
【折り畳みスマホって使いやすいよ】
iPhoneを使っている人の話を聞いたり、そのBLOGなどを読んでみると必ず「iPhoneはAndroidより使いやすい」という記述が出てくる。私は仕事柄、この数年は両方を持っているのだが、最近の5万円以下、場合によったら2万円くらいのAndroidスマホも、速度や使いやすさでも十数万円のiPhoneと同じ感じになってきているな、と感じることが多い。高級感あるデザインも良くなってきている。10万円以上のAndroidの機種になれば、iPhone以上の使いやすさと機能があるものも、もちろんある。折り畳みスマホなどは現状のAndroidのほうが勝っているなぁ、とも思う。日本では余り見ないのだが、外国に出てビジネスのミーティングなどをすると、数人に1人は折り畳みスマホを持っている、という感じもある。もちろん、それはiPhoneではない(現行のiPhoneには折り畳みの機種はない)。
【スマホの普及の歴史】
米国・日本でのスマートフォンの歴史を見ると、日本ではソフトバンクがiPhoneを割賦販売で最初に扱い(2007年)、大きくシェアを取って始まった、という感じがある。そこで爆発的に「iPhone」を使う人が増えた。その後の市場では「iPhoneが一番」という時代が続いた。つまりiPhoneはスマホとして最初に使う人が多かった。その最初の時代に多くの人が「慣れた」のだ。
【Androidも安価で使いやすくなった】
その後、Android-OSを搭載したスマホも徐々に良くなって来た上に、価格もiPhoneの数分の1でも、ちゃんと使えるもの、使いやすいものが出てきたが、最初にシェアを取ったiPhoneは多くの人が慣れていたために「やっぱりiPhoneがいい」という買い替えを促進したのだろう、と私には思える。それを言い直せば「使いやすい」になるわけだ。
「使いやすい」の正体は「慣れ」でしかない。それを自覚しよう。
【新しいものに慣れるのが楽しい】
私は自分の趣味や好みとして「新しいモノに慣れる」過程を楽しむ、というところもあるし、これが仕事でもあるので、常に自分の「好み」「慣れ」を訓練して変えることが苦にならないどころか、それを楽しむ、という感性がある。特に常に新しいものを扱うことが多い私のような職種は、適性・性癖そのものが「生きて行くための武器」でもある。だから、自分や自分の好みを変えていくことや新しいものに慣れ親しんでいくことが全く苦にならないばかりか、好ましいことだと思っている。
【「新しいもの」に慣れないで生きる】
しかし多くの世の中の人の職業や、生きている場では、何でも新しくして行く、ということよりも「慣れ親しんで訓練して来て獲得したもの」は、生きていく上で重要なものになる。新しいものが目の前にあっても、それを扱う訓練が苦痛になるし、面白いとは思っても、訓練や慣れに使う時間も普通はない。要するに世の中の多くの人は「新しいものは厄介者」になる。
【しかし、DXは始まった】
しかし、この数十年ほどで人間社会全体に始まったのは世界的な「ITへの移行」「DX」だ。今までは慣れていない・訓練もしていない新しいものに慣れ親しむこと、その訓練を厭わないことが、生き残る道となった。「煩わしい」とは言い難くなった。
なぜならば人類は「人類+IT=新人類」になったからだ。
【「新しいものを訓練することが楽しい」時代が始まった】
「使いやすい」「慣れ親しんだもの」からの決別。自分を新しい時代に合わせて訓練すること。その訓練の後には「iPhoneよりAndroidは使いやすい」自分になるだろう(例え、だけれども)。そして、その訓練そのものを「人生を楽しむ」ことにしよう、という事にならないと、日本のDXは成功しないだろう。この地域では、新しいものを拒否して自分を変えずにきたツケが、いま、私たちに降り掛かってきているのだから。「環境が変わったら、人間も変わらないと生きていけない」ってのは、真理だよね?。
【この先の環境がまた変わっても】
この先、人類は自然環境も含め多くの変化に見舞われる、と言われている。その変化を楽しんで生きる自分を作り、短期間で激変する環境に適応して、新しいものを切り開くことがなければ、人間は生きる場を失うだろう。今の日本のように、ね。
あなたが生き残るために、まずは、ちょっとした変化を受け入れ、自分を変化に応じてその変化にすぐに慣れるように訓練しておくことは、これからこの世を生きていく自分への投資だ。