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雰囲気っていう言語化

毎朝自転車を爆走させ、冷たい空気がむしろ心地いいくらいウォーミングアップ万端の日々です。

年齢もあり、定期的な運動など肉体に対して何かしらのアクションを起こさないと、体型維持すらも困難な状況になりつつあることを実感します。

若さというものはどれだけ特別だったかを考えさせられる毎日です。


毎朝のルーティンワークは自分の心を整えてくれる作用があるので、朝起きてからの行動って案外に心を落ち着かせてくれるのかなと思ってます。


ですが、日中の仕事においては常にイレギュラーなことの連続。毎日が新しい毎日であり、言い換えるなら同じ日は2度とこないということ。


仕事柄自分は人と会話をしないと成り立たないので、お客様やスタッフと話をする。世間的にみたら人との会話する時間は多い部類の職業だと思います。

そしてどちらかと言うと、話を聴く側のことが多い。それはお客様のご要望を聴いたり、スタッフの声を聴いたりと。もちろんこちらからの提案や助言などはするものの、大概は聴くことが一つの仕事のように感じます。

それこそ仏にでもなったかのように全てをなんでも受け入れられれば高尚な人間に近づくのかもしれませんが、自分もひとりの人間として腑に落ちないことを多々あります。


そんな時にふと、自分のボキャブラリーの足りなさと、毎日の積み重ねるコミュニケーションの足りなさを切に感じます。

スタッフもお客様もそれこそ自分の家族であっても、日常のささやかな変化があり、体調や思考、目に見えるファッションやメイクそして纏う雰囲気など、人とは日々繊細に変化しているし、それをどう感じる取るのかってとても大切なんだということ。


とかく日本人は(自分もそうだが)あまり多くを語らない。言い換えれば空気を読んだり、察したり、表情を読み取ったりと、ある意味で超能力に近い類の、とても鋭敏で感度の高いアンテナのようなものを身につけている。


でもそれは日々の生活の中で、毎日見て、話して、感じ取った先になせる蓄積されたデータの上に存在する思考なのかもという結論に達しました。


いかに自分がそこに思考が及ばなかったのかを反省するとともに、日々のコミュニケーションと言葉を大切にすることの重要性を感じつつ、言葉で良くも悪くも言ってくれるってありがたいなと思う今日この頃です。


日本のこの気づきの文化はもしかしたら新しいフェーズに入ったのかもしれません。だからこそこうしたnoteに自分の考えをまとめておくことも自分にとっては必要なことだと自分に言い聞かせてみるそんな朝です。







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