短編連載小説 長い夜1
母の病状が悪化し、
もうどれほども持たない状態だと
父親の違う弟から連絡が入ったのは
7月下旬の蒸し暑い夜のことだった
ふとガラス戸の外を見ると月が妙に赤かった
どうしてこういう知らせは、決まって夜なんだろう。
彼は正岡順平だと名乗り、
突然の電話を詫び、
もし迷惑でなければ、
兄さんたちにも来て欲しいのですと
消え入りそうな声でそう言った。
医師は今夜が山だと言っているけれど、
今なら何とか意識がありますからと
何度か言葉に詰まりながら病状の説明をした。
その後、入院している病院の名と部屋番号を告げ
最後になるだけ早くと念を押してスマホを切った。
反射的に目の前にあった紙切れに、
順平が口にした病院名と部屋番号を走り書きした。
そのメモを見ながらどうしたものかと迷っていた聡に、
妻の茜が背後から声をかけた。
「どしたの?そんな深刻な顔をして」
聡は少し戸惑った。妻に何と言えばいいのだろう。
「何があったのよ!」
もたもたしていて、変に勘ぐられるのは嫌なので
「俺を産んでくれた人が危篤なんだって」
動揺を悟られまいと、聡はわざとそっけなくそう言った。
「えー、誰からだったの?」
茜も少し驚いたようだ。
「正岡順平だって、父親の違う弟だってさ」
「楠原に住んでいる弟さんらだったのね]
どうして茜がそのことを知っているのか、聡は一瞬驚いたが
どうせ茜の親が何もかも
結婚前に調べたのだろう合点がいった。
「それは大変だわ。それで、
弟さんはどうしてほしいと言ってるの?」
女はすごいといつも思う。
非常時になると肝が据わり、
切り替えが驚くほど早い。
「なるだけ早く来てほしいっだってさ。
勝手だよなあ、突然!それもこんな夜中に・・・」
それじゃあ、あなた急いで晃さんに連絡をしてあげないと」
兄弟ふたりして行くのが当たり前のように茜が言うので
急に腹がたってきて、
「うるさい。俺たちの問題だ!お前は余計な口をだすな」
と、聡は自分でも思っていないほど大きな声を出していた。
それを聞いた茜は、呆れた顔をして
「じゃあ、わたしが晃さんに連絡しますから、
あなたは勝手に、ゆっくり考えていればいいわ。
わたしはあなたを産んでくださったお母様に
どうしてもお会いしてお礼が言いたいから、
一人でも行かせてもらいます」
と、聡の手からメモを奪い取り、
弟の晃に電話をかけ始めた。
その茜の背中を見ながら、
これから自分は妻に連れられて、
母と再会するために、病院に行くのだと観念していた。
母を最後に見たあの夏、
自分は二度とこの人には会わないと
こども心に誓ったのだ。
しかし、
それこそが幼い僻み根性だったのかもしれない。
何も知らない晃には罪なことをした。
あれほど母に会いたがっていたのに・・・
両親に愛されて育った茜は、
こういう時に何の屈託もなく振舞える女だ。
実はそのことに感謝している。
どこか欠けた自分を補ってくれる存在なのだ。
Ⅱへ 続く
見出し絵はみもざさんのイラストを
使わせていただきました
どうもありがとうございます
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