初夏の奈良を訪ねて② 志賀直哉旧居~新薬師寺
奈良市、春日大社の南に位置する高畑町は、かつて春日大社の神職や神社関係者が住まう「社家町」でした。現在もその名残で分厚い土塀が多く残り、風情ある街並みを堪能することができます。
ただ歩いているだけで、幸せ。
この日はさらに、可愛らしいウグイスの声も聞こえてきました。
きっと近くに住処があるのでしょう。
瑜伽神社からおよそ10分、
よく響く囀りを聴きながらご機嫌で歩いた先、お目当ての場所へ到着です。
志賀直哉旧居
言わずと知れた文豪・志賀直哉(1883-1971)
この住居は、彼が自ら設計し家族とともに1929年から9年間暮らした旧居です。
せっかくフルオーダーで建てたのに9年しか住まなかったの?
と、思いますよね。
ですが、
実は志賀直哉は文壇屈指の転居癖の持ち主で、生涯に23回の引っ越しをしたのだとか。
23回も!
つまり、ひとところの平均滞在年数は3.8年。
そう考えると、この高畑での生活はとても長い。
そこまでお気に入りだった旧居、一体どんな感じなんだろう?
さっそくお邪魔してみましょう。
客間の窓からは、奈良の代名詞ともいえる「若草山」や、春日の杜(原生林)が見えます。どちらの窓から見える景色も完全に調和していて、まるでそれ自体が作品のよう。
絵画のような眺めと自然の音に囲まれ、心を研ぎ澄ませて創作する。
そうして書きあげられたのが、
長編『暗夜行路』
志賀直哉作品のなかでも、『城の崎にて』と並ぶ知名度ではないでしょうか。
いわゆる”文豪”作品には苦手意識があるのですが、、
足かけ17年におよぶ連載の結末部分をここで書き上げたと知り、とても興味がわきました。
・・読んでみよう、かな?
公開されているのは12部屋。
和室、茶室、モダンなダイニングやサンルーム、想像していたよりもずっと広くて驚きました。
お庭もまたすてき。
ゲコゲコ蛙の元気な鳴き声が聞こえます。
さて、
文豪の世界に十分浸ったので、つぎは天平時代へタイムトラベルしよう。
この通りには立派な門構えのお宅が連なっていますが、一体どういった方たちがお住まいなんでしょうか・・
春日の杜と新薬師寺の力を帯びたこのあたりの雰囲気、とても気に入っています。
移住先の候補地としてインプット!
空き家ないかな?
キョロキョロしながら歩くうちに、次なる目的地へ到着。
新薬師寺
13年前に初めて新薬師寺を訪れたとき、「ずいぶん質素なお寺さんだなぁ」という印象を抱きました。
薬師寺や東大寺といった奈良の大寺に比べると、規模も小さく色彩も地味な様子に、何となく物足りなさを感じたのです。
それが見事に覆ったのが、1年半前。
春日大社参拝のあとに訪問した新薬師寺は、喧騒とは無縁の、しっとり落ち着いた空気が漂っていました。
ー静謐
そして、本堂のなかへ一歩足を踏み入れればそこは
ー幽玄
こんなにも素敵なところだったのかと。
もちろん、お寺自体はなにも変わっていません。
12年という歳月の間に、わたしの感受性が変容したのでしょう。
では、その幽玄の世界に足を踏み入れましょう。
採光の窓がない暗がりのなか、中央に坐すのは本尊の薬師如来坐像。
そして本尊を守護するように、十二神将像が周りをぐるりと囲んでいます。
この13体のほかに祀られる像はありません。
いたってシンプル。
わたしはこの十二神将像を眺めるのが好きです。
お顔も、ポーズも、みなそれぞれ違う。
そこで、「きょうのお気に入り」を探すことにしました!
十二神将像は、それぞれ十二支の守護神の役割も担っているので、当然自分の守護像が気になりますが・・・それは一旦横において。
一体ずつ、順に見ていきます。
このポーズいいなぁ
憤怒の表情はちょっと苦手
武器がかっこいい!
まじまじと見ながら一周して、決めました。
発表しますね。
つきふね的「きょうのお気に入り十二神将」は、、
珊底羅大将!
海神のような鉾・ポーズ・お顔、どれも良い!
そして十二支が「うま」とありますね。
なるほど、そうきたか~。
まさしく、わたしは午年生まれです。
結局自分の十二支を選んでいたということですね。笑
ご縁を感じたので、珊底羅大将にローソクを一本供えてお祈りしました。
_どうぞ、お導きください。
境内を巡っているあいだずっと、ウグイスが高らかに歌っていました。
歓迎してくれているのかな?
緑美しい新薬師寺、
期待どおりの穏やかなときを過ごすことができました。
やっぱり好きだな、ここ。
_つづく