わたしとピアノ ① ショパンのバラードが弾きたくて
ピアノと出会って、40年が経ちました。
よくある趣味のひとつでありながら、わたしの人生においては大きな一本の柱となっています。
そこで、ひとつの区切りとして、これまでのピアノ人生を振り返るつもりで記事を書くことにしました。ほぼプライベートなことなので、それでもいいよという方だけ読んでいただければ嬉しいです。
わたし、大きくなったらピアニストになる!
ピアノ弾きたい!
そう言ったのは、6歳のとき。
テレビでかっこよく演奏するピアニストに憧れて、小1の夏からピアノを習い始めました。
せっかく習うのならと、両親が買ってくれたピアノは
★YAMAHA U3アップライトピアノ★
その出で立ちは、スラリとした立ち姿の貴婦人
それまで使っていたオルガンとは全く違う音の響きに、大喜びで弾いていたそうです。特に苦労することなく教本をこなしていくうちに、あっという間に中学生になりました。
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想像するに、ピアノ学習者の最大の壁は中学校入学ではないでしょうか。
勉強やクラブ活動で忙しくなるからという理由で、多くの子がそこでやめていきます。当然のようにわたしもそれに倣おうとしました。
とある日、菓子折りを持って母と一緒にレッスンへ行き、その旨を先生に伝えました。
すると、いつも穏やかな先生が強い口調で言ったのです。
「つーさんには才能がありますから!今やめたら勿体無いです。
どうか続けてください!!」
え、なに?才能?
そんなこと初めて言われた。
熱意におされると断りにくく、
それなら、もう少しだけ続けてみようかな。
そうして、高校卒業までレッスンに通い、
卒業後はピアノ調律の学校へ行ったので、そこでも毎日ピアノ三昧。
いま思い出しても、楽しい日々だった・・
その後、信州上田に就職して調律師として働きましたが、いろいろなストレスが重なり闇落ちしそうになったので3年でリタイヤ。
こんどは音楽と全く関係のない会社に転職しましたが、ピアノだけは続けたくてヤマハ音楽教室の門をたたいたのです。
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今度の先生は、とても快活な人でした。
と同時に、ハードな課題を出してくれました。
<毎週の課題>
ハノン(ひたすら指の訓練)
ツェルニー40番(苦痛の練習曲)
ソナタ(苦手なモーツァルトとベートーヴェン)
バッハ インべンション(指がもつれる)
これは・・・確かに王道のコースだけど、
これから音大受験でも目指すのだろうか、わたしは。笑
仕事に遊びにピアノに毎日追われ、さすがにしんどくなって相談したところ、
「あ、そうだねー。つーさんはもう十分弾けてるからこんなにやらなくてもいいね」
意外とあっさり交渉成立。さらには
「逆に、なにか弾きたい曲はある?」
と問われたので、力を込めて
あります!!
と答えたのです。
弾きたい曲はありますとも。
そのためにピアノ続けているんだから。
中学のころ初めて聴いて、それからずっと『いつか弾きたい』と憧れてきた曲。
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『ショパン作曲:バラード第一番』
この曲を、ずっと目標にしてきました。
実はこの数年前に自分だけで譜読みを試みたのですが、途中までいって挫折しました。
結局、一人でやっていると簡単に諦められるんです。
この曲はけっこう難しい部類なので、誰かにお尻を叩いてもらわないと、わたしには無理でした。
そういう経緯での再チャレンジ。
最初は順調、そしていよいよ前回挫折した箇所へ突入・・・
あれ?なんかいけそう?
指の動きは激しいけれど、練習すればなんとかなりそう。
前回はまるで歯がたたなかったのに。もしかして、あの鬼のような練習量が力になっているのかもしれない。
自分ではっきりとわかるほど、それまでのピアノ人生の中でもっとも指が回っていました。
演奏時間は11分:
静→動→静→動 を繰り返し、最後は燃えるように情熱的に、フォルテッシシモfffのオクターブ半音階 フィナーレ!
最後のG音から指とペタルを同時にはずし、静寂。
「うーん、いいね!すばらしい!」
先生から、拍手と賛辞と”合格”をもらいました。
このとき25歳、
ついに憧れの『ショパン:バラード第一番』を仕上げることができたのです。
いまはもう弾けないし、仮に指が動いたとしてもこの曲は選ばないでしょう。20代という若さと情熱があったから弾けた曲。
わたしにとって、大切な思い出です。