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そうじ係をエンジョイするわが子が、ただ尊い。
夕方、帰宅した息子がランドセルをほうり投げるなり言ったのです。
「帰りの会で、あしたゴミを10コひろった人にプレゼントをあげるって言ったから、シュリケンつくるの手伝って!30コはひつようです」
な、なんですか急に?
手裏剣?! って、折り紙?
あげるの?誰が?誰に?
寝耳に水すぎて状況把握に3分ほどかかった。
どうやら息子はクラスで教室をきれいにする
おそうじ係になってるらしいのだけど、
毎日ごみを拾っても拾っても新しいのが落ちていてきれいにならない。
そこでクラスみんなできれいにするため、明日ごみを10コ拾って片付けた人にはプレゼントをあげるという案を思いついたのだという。今日の帰りの会で、既にアナウンスした、とのこと。
プレゼントはシュリケンがいいと思う。と息子は言った。
ひとり10コって、、教室にそんなゴミ落ちてる??
30の手裏剣を折るには60枚の折り紙がいりますけど。。
ひとつ3分で折ったとして90分か…
そもそもそんなものを勝手に学校へ持っていって大丈夫なのだろうか?
頭をぐるぐる色んなことがまわったけど、
とりあえず折り紙の在庫をチェック。
金色の折り紙だけはやたらあったのだけど、全然足らない、とみるや彼はソッコーで自分のネコの貯金箱から100円玉を数枚取り出し、近くのスーパーへ駆け出していった。
自分が今やりたいことへの行動力だけは異様に早い。遺伝だろうか・・・。
とりあえず、配る前にまず先生と相談する、ということ。だめだったら、そのまま持って帰ってくるんだよということだけ約束して。
お風呂と夕食を早々に終えて、ふたりでひたすら手裏剣を折った。
私自身も久々の手裏剣。。。息子がふかふか折ったパーツがなかなかうまく組み合わさらなくて、予想してたよりも時間がかかる。
だけど、どの色の組み合わせが好きか、とか話しながらふたりでやるのはなかなか楽しいのだ。
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単調な作業の繰り返しになんだか頭がボーッとしてきた。ちょうど昼間に脳疲労に関する原稿をまとめていたのだけど、そこで出てきた疲労の3大サイン「飽きる」「作業効率が落ちる」「眠くなる」いまぜんぶ当てはまってるんだけど大丈夫なのかしら。
わたしの脳、酸化しちゃってない?
やっと26個か…。
「先生のぶんとか、その日休んだ人のぶんは別にいらないんじゃないかな……
みんながゴミ10コ拾えるかわからないし。。。」
おずおずと進言してみるも、必ず全員ぶん、先生も含めて30こいるとのお返事。。
帰宅した夫が自分も手伝うと言うので最後の1こを折ってもらって、寝る時間ギリギリに間に合った。
翌日、張り切って手裏剣をつめた袋をぶら下げ、学校へ行く息子を見送った。
……何をしていても息子の手裏剣が気になる。
誰もゴミを拾わなかったらどうするんだろう。
折り紙なんていらねー!と言われたら。
こんなもの学校に持ってきて!と怒られないかしら。
1日じゅう勝手に心配していたのだけど、
夕方インターホンがなって、
「ぜんぶ売り切れーー!」
うれしそうに空っぽの袋をふってみせる息子がうつっていた。
手裏剣作戦は大好評だったようで。
今日教室をピカピカにしたひとー?
と聞いたら全員が手を上げて、手裏剣に大喜びしてくれたらしい。
カッコいいー!とか、この色好き、とかありがとう!とか、みんなにいってもらえてうれしかったようだ。
しかも何よりうれしかったことがあったという。
2年生になってまだ一回も学校に来ていなかったクラスのお友達が、はじめて、息子が手裏剣を配る今日の帰りの会にだけ来てくれたのだとか! 手裏剣を渡してすこしお話できたらしい。
息子は何度もその子の名前を繰り返して、
心底会えたことがうれしそうだった。
今日は風邪でお休みだった子も、机の下がピカピカだったから、手裏剣おいておいたよと息子は言った。
きょうはいいことがいっぱいだった、といいながら、寝たのだった。
翌日、担任の先生から連絡帳にはじめてメッセージが書かれていた。
そこには、息子のプレゼントのおかげでクラスがきれいになったという御礼と、息子は毎日いきいきとたのしそうにすごしていること、
優しい性格でみんなから好かれています、と書かれてあった。
息子のいうとおりだった。
手裏剣は、30こ持っていってよかったのだ。
そしてその行動は、我が家にこそ、たくさんのいいことを運んでくれた。
また知らなかった息子の一面を見られたこと。
怖くてルールに厳しいと聞いていた担任の先生が、あたたかくてやさしかったこと。
息子のクラスでの様子がわかったこと。
新しいお友達ができたこと。
なにかと、行動をとるのには勇気のいる世の中だけれど。温かく受け入れてもらえたというこの経験は、彼の中に大切にしまわれるだろう。
目立つようなことはやめとけとか、
ルール違反かもしれないからとか、
誰かにとっては迷惑かもしれないとか、
つまらないわたし自身の意見で、彼の小さなアイデアをつぶさなくてよかったのだ。
成功も失敗も、息子が社会の中で学んでいく。
見守るということはときにとても難しいことだけれど。わたしはただの応援団でいいのかもしれないと、改めて思ったのです。