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心が破裂しそうだった~認知症なら家族の気持ちを殺していいの?

昨日記事を書いた後、事件は起こった。


ママだ。
私は遂に沸点を超過した憤りを言葉に変換した。


だから私はあなたが嫌いなの。ずっと昔、子供の頃から!だから実家を出たのあなたが居ない所で生活したかったから。



これが娘が母親に言う言葉か、という驚きは甘んじて受け入れる。
だけど、何度も書いたかもしれないが私はママが人として嫌い。



ことの発端はラグの汚れ。
重いテーブルを退け、棚を退けてラグを出して洗うというのは労力と時間を要する為、出来るだけの処置をした後、上に小さなマットを置いた。



この週末を使おうと思ったら思いがけなく夜から断続的な強い雨と、湿った空気に諦めた。


なので、跡があるけど洗えずにいたが、小さなマットを何十回言ってもママはそれを触る。
止めてと言った。あー、うんうん分かったとか、そうだったねと言いながら2分後にまた触り、結果15分で5回動かした。



止めてということを何度も言ってるのに続けるのは嫌がらせではないか。
これは認知症で忘れるとかに関係なく、昔からそうだった。発達障害と多分学習障害もあったんだろう、兎に角人の気持ちが無い世界に住んでいる。




止めてって言ったじゃない、と言った。
穏やかに。
そうなんだけどさぁ、と返ってくる。


そして次に、5回目そのラグの上のマットをテーブルの上にのせた。だから元に戻して止めるよう言った。
そしてまた触ろうとした手を、止めて!とはたいた。


痛い!痛いです、すいません、とママは言った。止めてって言ってると言った。



忘れる病気なんだから、は通用しない。
認知症の前からだし、結果、触るということを止めないのは自分の触りたい動かしたい気持ちが相手の不快感や拒絶、拒否など他の制止より勝つというだけで、触りたいから触ったが電車内の人の身体であれば、逮捕される。



触られたいです、とでも書いてなれば。



そして
寝床へ行こうとしたから、そのまま寝床へ誘導しリビングに来ないよう言った。


ママの布張りの椅子には防止目的でペットシーツが敷いてあったが、寝床へママが行った後見るとそれはなく、丸く大きなシミがあった。



はぁぁ。。。
対策しても、それを無意味にする。
そのペットシーツはどこにあるのか?
この布張りの椅子のシミは…
バスルームへ持っていき、シャワーで流し洗った。



乾くのか?
滴が出なくなるまで水を切りベランダへ持っていこうと考えたがママは仕方ない、丸い円柱のスツールを持ってきて、ペットシーツを貼り付けた。



認知症でのトイレ失敗より、発達障害の方が私へのダメージが大きい。
久しぶりに心が破裂しそうになって、テレビを消し、ただただ、日記に文字を綴った。



思い溢れる言葉が次々わいて、書くのが追い付かない。乱れて文字に感情が滲む。




認知症は家族の気持ちを殺していいの?
認知症になったら、自分のことだけで思いやりを忘れてもいいの?
認知症の前からだけど、傷めた心を自分で癒してるのに私は抵抗や反論すら許されないの?



認知症患者が特権を得たみたいに思えるママ。すべての世話をして、時間も労力も使ふ


何をされても許し、認知症患者が快適に過ごせるように努めなくてはいけないの?
奴隷か召使のように?


ならば、デイサービスはどうですか?
施設はどうですか?
と何回も言われた。その資金はママにはない。それも私が出すの?今まで散々お金の無心や借り入れを肩代わりしてきたのに。



胸の真ん中が熱い。
鼓動が速くて大きい。

私は今夜、どうにかなりそうな自分をただ、抑えただけだった。



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これからも人の心に何かが灯る記事の為と猫のために大切に使わせて頂きます(*´▽`*)