名前は言わない。君君たちに「ありがとう」と命がけで全力で伝えたい。それだけなんだ。
今日の日記は、丁寧に、繊細に、優しく、自分の心をそっと言葉にして、それでも正確に、過不足なく人を不安にさせない様に、でも全力で伝えたい。
今の僕は「今の僕の周りにいてくれる存在」に僕の存在を守られている。
でも、誤解しないで、言葉足らずだ。
僕が今回色々あった時に連絡をくれた全員に今すぐにでも
連絡や返事を返したい。ありがとう。僕は生きてる。
それで今、僕の周りに「触れられる声」や「安心・温かみ」をくれる人に、ありがとう。
彼ら彼女たちがいて、僕は孤独から少しだけ離れることが出来る。
だから、全員にありがとう。
でも、やっぱり離れ離れで皆とは会えないし。
近くにいる彼や彼女たちとも。
大人になった今では、そう何時でも会える訳じゃないのね。
みんなそうでしょ。逢いたい時にすぐに合えるのは子供の時だけ。
だから僕の心の支えとして。
声が聴きたい時に、どうしても聴きたい時に。
時間とタイミングが合えさえすれば。
そんな君たちに、ありがとう。
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それぞれ、僕への見方やイメージは違うと思うよ。
大人になると幼馴染も同級生も関係なくなると思うの。
だから僕は「ありがとう」と伝えたい。
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僕は今日一日中、今もこうして考えていると、「キュウ...」っと切なくなって、嬉しくて、嬉しすぎて苦しくなるくらい胸いっぱいに幸せを全力で胸に心の中に抱きしめている。壊れないように。
僕も君も壊れないように、壊さないように。この想いも壊してしまわないように、大切に大切に、壊れて壊してしまわないように愛するように抱きしめて。僕はその心地よさに包まれて、今にも泣きそうになりながら生きているの。
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「○○ちゃん、どうしたいの?」
「○○ちゃんには幸せになって欲しいから、、その子とどうしたいの?」
ようは、「あんた、どうしたいの?」って事。
答えへの最短で最適なストレートな僕への問いだ。
それを言うって事は、僕を本当に見ているって事。
僕を一人の人間として、架空の存在や空想の僕ではなく、僕を見て。
その人の本音本心で僕に対してモノを言ってくれているから。
その言葉が出るのだと思う。
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「○○ちゃん、どうしたいの?」「あんた、どうしたいの!」
この言葉は、僕が相手の事を認めていなければ素直に受け止められない。
相手の事を好きで、大好きでいるから。
僕は彼ら彼女たちの言葉を素直に聞いて、受け入れることが出来るの。
僕も人間だから。
相手の外見や内面、その他も、その人の人となりも背景も見ている。
だから僕が相手の事を認められないと、「ありがとう。大好きだよ」と言えないのだ。
「こいつカッコ悪いもんな。こいつダサいもんな。」
「この子、綺麗だからカッコつけて、良い人のフリをしておこう。」
こんな風に相手の事を思っていたら、相手の言葉は僕には響かない。
例え言われたとしても「お前に言われたくないよ」と僕は考えている。
「この子、安いかな(馬鹿かな)」としか腹の中で考えていないから。
だから当然素直に聞ける事はない。
なぜなら理由は簡単。相手の事をそこまで認めていないから。
だから、認めていないと僕はここまで彼ら彼女たちを愛おしく想えない訳。
愛おしくて愛おしくて切ないくらい仕方がない。
泣きたくなるくらい。訳も無く、理由はあるけど。
泣きたくなるくらい大好き。
苦しくなるくらい大好き。
そんな気持ち、想い、感情が君たちに、生まれているの。
でも、でもね!心配はしないでね!
僕、こう見えても、歩いてきた道。
こうして生きてきただけの経験はあるの。
だから、君たちに依存はしない。
僕の生き甲斐として、君たちに対して「ベット」する事。
どうか疑心暗鬼や警戒や誤解や不安視しないで欲しい。
ベット【bet】 の解説。
賭 (か) けること。 賭け。 また、賭け金。
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「○○ちゃんは、呪術開戦の映画に出てきたリカみたいなものよ」
「ゆうたぁぁ゛って奴。」
「○○ちゃん、メンヘラ。 わかるよ。私もそうだから。」
それを言われちゃうと 笑っちゃう。
僕の強さも弱さも、いびつさも、依存体質も。
僕の存在を察した上で言葉をくれる。
言葉は選んでいるのだろうけど、的を得てる。
「あんた、どうしたいの!!」
ようは、そういう事だ。
幸せになりたいのだったら、あんた(僕)は、どうしたいの?って事。
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「○○ちゃん、どうしたいの?」「どうしたの?」
僕は君たちと一緒に居たい。
「いつかはお別れするかもしれないと言うの悲しいから、、やめよ。。」
「でもさ、僕らもお互いに いつどうなるか分からないでしょ。だから、一緒に居られる、繋がっていられる間は、良い関係でいたいんだ」
そういう事。
だから、僕は君に君たちに依存し過ぎない。人生を共に生きて、一生一緒にいたい。ずっとずっと繋がっていたいの。大好き。
君たちが言いたい本当の本心、核心の部分は察しているの。解っているよ。
でも、まだまだ「寂しい」って感情が心から離れないのよ。
だから「それは良くない」と自分で自分に対して思うの。
感情の舵を「所詮は(動物的、欲望快楽の赴くまま)人間」から、
「僕」という存在に切り替える方向に振り切るの。
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僕は生き甲斐を失って、飛び降りて死にかけたけど。
まだ次の生き甲斐や、幸せの存在は見つける事が出来ていないの。
だからここで「今までのそれ」を失うと、
また僕は暗闇の中を走る事になるのよ。
そうすると、また転がりながら走る事になるのは目に見えているの。
要は、アクセルとブレーキを同時に踏みながらって奴。
全力でいびつで。全速力で転がりながら、転がり落ちて。
また同じ過ちを犯しながら、また不安になりながら。
自分をコントロールできないまま、また振り切ろうと。
また同じ過ちで、走り切ろうとするのよ。
だから、今はまだあの子に意識を依存をさせるのよ。
それが僕の答え。
君たちがいう事は当たっている。間違っていないと思う。
本当に思う。君たちがいう事は正しい。
僕の心境や考えている事を察しているのだと思う。
君たちが言う、「それ」が僕が幸せになる為の本当の道だと思う。
でも今はまだ僕は「それ」が出来ない。
だから、本当に本当に重ね重ね想う。ありがとう。
だから僕の答え、僕を信じて。
「僕を理解して」とは甘えられないけど、僕を信じて。疑わないで解って。
誤解するのは解るけど、僕に不信感や不安を感じないで。
それで僕を愛して、大切にして。
僕も君たちを「ありがとう」愛してる。
「だーれだ」
「言葉の優しい大好きな君」
「ご名答。それで 君はどうしたいの?」
「ごめん、まだ行けない」
「どうして」
「君が一緒にいてくれるならいけるけど、、ごめん」
「さあ。行こう!」
「 」
僕はまだここでこんな感じで立ち止まっている。
のかもしれない。
今僕と繋がって言葉や付き合いをしてくれている人、君たちへ。
時間が経てば経つだけ、過ぎれば過ぎるほど。
君たちの存在の美しさ、カッコよさを僕は痛感してる。
どこまでも、一緒にいられる時間は、その間は一緒にいよう。