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罪と罠
僕は元気。
死なずに生きている。
いつの頃の自分に宛てているのか分からないけど、今日は夕方から仕事。
炎天下の仕事は限界が来たので夕方からになった。
毎日、毎日、何とかして息を繋いでいる。
だから悪いけど、僕は死ねなくなってる。
でも、死んでも許さないと決めた心は、絶対に許さない。許さない。
・・
人がこれを見たら何と思うだろう。
また僕がおかしくなってる。
変になってまたメンヘラってる、と思うのだろうか。
今では僕も何となくは見えてきた事もある。
はっきりと分かった事もあるから、僕は人に感謝して生きている。
けど、ここに書いている事は僕の1%にも満たない情報だけ。
ここに書いている怒りや感情や考えている日常の事は嘘ではない。
悲しくてもここがあるから出会ったり別れたりしてきた縁がある。
僕は死ぬまで、絶対に、許さない。
僕は死ぬまで、死んでも、絶対に許さない。
それを踏み越えた上で、僕は人間は大人になっていけば分かる事もある。
解る事もあれば解らないまま死んでいく事の方が圧倒的に多いと思う。
・
僕はあの時。
20代からのすべての思いや事実を引きづって辿り着いた3年前の出来事。
今はそれを乗り越えながら、今は自分の人生の整理をしている。
自業自得だと苦しくなる。けど、昨日、こんな話を聞いた。
「悪い事の後には良い事があって、結果的にトータルでプラマイゼロになるって事」
「良い事の後には悪い事もあるし、けど、それって振り返った時点ではもう既にプラマイゼロ。そう言う事」
僕は笑って誤魔化した。
「考えてる事のほとんどが悩みや不安でも、その考えてる事ほとんどが当たらないから」
どちらにしても、人間同士。
自分の夢や、心地の良い、都合のいい生き方をすべて叶えようとすれば、他人とは、絶対に折り合いはつかない。
それを綺麗に都合よく忘れている人が多いなと思っている。
・・
いつか死ねなくなる。
死ぬほどの事ではなくなってしまう。
これは罠だ。
・・
偽善で綺麗ごとで嘘偽りの美談で都合のいい手のひら返し。
極刑であって、重罪であって、万死に値する。
人の気も知らず、世の中、馬鹿ばっかりだ。所詮はそんなもんだ。
どうして生きるのが、こんなに苦しいのか。
そう思うとまた怒りがふつふつと。
もうそんな事が、
「もうどうでもいいわ」
と言える日が来たら、僕は人間として成長や変化する時だと思う。
・
どれだけ憎くて、殺したくても殺し切れない。
それが自分にとって、恨みや憎しみの象徴や権化だとしても。
いつか
「それでも、自分が死んで、自分が死んでも何もいいことは無い」
そう気が付ける日が来る。
・・
これが人間社会に備わっている仕組みだと思う。
生きていて良かったねとは言わないけど。
「生きていられる社会で良かったね」
と言われても仕方が無いと思う。
こう思っている時点で僕は別人のようだ。
・・
ただ、やっぱり生き甲斐が無い。
何の為に生きて、何が幸せで生きているのだろうかと思う。
・
ただ生きているだけでいいなんて言うのは間違っている。
生きていく為には生活する為のお金や仕事がいる。
人間関係だけじゃない。単純に嫌な思いして、辛い思いや痛い思いをして、やっと手にする生活が何のために生きているのか分からない日々。
これ以上に虚しい事はない。
こんなにも虚しくて残酷な現実は無い。
・・
諦めでもないし、飽きた訳でも無いと言う。
でも、諦めているから飽きもくるし。諦めた時点で未来は無い。
無い人間に、新しい出逢いや発見もあるはずがない。
けど、完全に諦めたとかは言ってはいない。
だから生きている。
でも、僕の残りの人生で楽しめる事は、もうない。
・・
何の為に生きているのか。
何の為に生きるのか、それだけに苦しんでいる気がする。
苦しめているのは、その幼稚な自分のせいだ。
原因が解っていても、身体がついてこない。
・・
・・
・・
コンビニ飯にも飽き、それを何周もして惰性にも慣れている気がする。
好きな時に好きな物を食べている。
身体に悪いと自分でも思いながらでも食べる。
食べたいものを食べたい時に食べる。
妙に健康を気にしているは今でも少しはある。
毎日、寿司が食べたいとは思わない。
もう思わないし思わなくなった。
けど、気になると食べる。
気になったらとりあえず体が重くなければ食べる。
後から食べなかった事を後悔するのが今は死ぬほど嫌なので
些細な事でも気になったらするようにしている。
時間、お金の無駄と思えば、すぐに忘れるようにしている。
別のもので慰める。
誤魔化して、目が疲れて意識が落ちるのを待つ。
スーパーの総菜も飽きてきたけど、たまに気になる。
後から食べなかった事を後悔するのが今は死ぬほど嫌なので
自分が壊れそうな気がしたら、手を叩いて、忘れるようにする。
人間は考えるから人間なのだ。
だから、考えられなければ、もうそれは人間では無いと僕は思っている。
だから自制と意識が大事で命取りにならないように考える。
何事も楽しめるといいけれど、考える、から本当の楽しみや味わい方を深く広く続けていけるのだと思う。
そして新商品が無いか探す。あったら気になる。好みそうなら買ってみる。
買うために働く。働くから腹が減る。食べられる気力と体力が大事。
まだ食べたことが無いような美味しい物があると信じて買いに行く。
食べてみる。毎回、想像通りだなと思う。
けど、心配しないで大丈夫。
毎回、食べたものも忘れてる。
食べたものを忘れるから食べた感想も忘れている。
だから毎回気になったり買えるなら買う。
食べてみて、また、同じようによく分からないまま、終わって寝る。
これで一年が過ぎ10年が過ぎ20年が過ぎた頃には死んでると思う。
・・
今も昔も、世の中を変えるような事を起こす人間は、宝くじ以上の確率の特別な人間だと思う。
でも、その人が人生の成功者でも幸せな人間かどうかは別の話だ。
自分の家族が出来れば責任を持ち、自分に子供が生まれると、その存在が自分の生きる意味や理由になるのかもしれない。
それも生きる意義だろうなと勝手に想像している。
自分の家族を最後まで持たない人生は、孤独というより孤高の生き方だと言わなければ精神が保てない気がする。
・・
これは罠だと思う。
いつか許す日が来ると言うより
「(もう)どうでもいい」
と、しか、言えなくなる日が来るのだと思う。
・・
「何も無い」
と言うけど、それは嘘だ。
本当にそう思っているなら、本当に死んで消えてしまっていると僕は思う。もう少し上手くいかずに死んでなくなっていると思う。
だからこれから先は、死なないように必死で考えるしかない。
これからは、笑って許されるほど甘くない。
世の中はそんなに甘くないのだ。
だから甘いひと時、安息の地や存在や居場所を探しているのだ。
そして僕は甘えているのだ。
・・
僕ら、いつまでも地獄、地獄と言い続けていたくはない。
そもそも「地獄」って、誰も知らない。
誰も経験した事も無い所の話。死んだ後の話。
死んだ人間は、死んだ生物は、二度と蘇ったり復活したりはしない。
その死後の話。
その中の地獄を出してきて、
「生きるのが地獄だ、生き地獄だ」と。
そんな知りもしない地獄や死について。
よくそんな事が言えるなと、言えてきたなと思う自分もいる。
けど、悪いけど、僕は僕だからね。
僕は悪くないと言うとまた誤解が生まれるから、それは誤解だから。
僕は僕、だから、が一番ここでの穏便な回答な気がする。
・・
極論か普通に考えてなのかは人それぞれだと思うけど。
人間は絶望に屈しても、そこで自分の人生が終わる訳ではない。
残りの人生を考えて、自分の人生をどう生きてどう生活して過ごしたいかを自分で見聞きして、経験して、そこで判断できるようにさえなれば良い。
それすらもまだ分からないのが、今の人間という事。
いつの時代も同じだと思いたいけど、それは僕が知らないだけかもしれないから、僕が考える生き辛さの原因は、本人たちが作り上げて生み出している事の答えだと思う。
どんな問題でも、何かが間違っているのだから、何が間違っているのか考えればいいだけだ。それが出来ない理由があるなら、今度はその出来ない理由を、また考えればいい。
そこから逃げるなら逃げればいい。
逃げた現実は、逃げていないと言う自分の言葉を嘘にするだけだから。
・
僕らは考えなければならない。
その不幸の部分だけに甘んじて。
そのまま落ちぶれていく感覚は、はっきりいって正しくないと僕は思う。
そのままでは幸せにもなれない。夢も持てないし、叶わないと思う。
なぜなら、いつまでもはそうしていられないから。
誰も、社会も、待ち人も待ってくれない。
待ってくれている人(待ち人)なんかいないと言うのは大間違い。
待たれるような、待ってもらえるような人間ではないという現実を、
多重に誤解し、間違いを犯している。
・・
愛されないのは、愛される力をつけていないから。
認知の歪みだろうが関係ない。
例え例えとつけて、例えどんな人間で、例え、どんな事をしている人間であってもだ。
愛されるか愛されないかは別の話なのだ。
・・
人は安心や安定、普通って言葉で計りたがるけど。
そんな事は、そんな事として考える事。
それはそれ、これはこれ。それはそれ、これもこれ、だ。
だから、愛されるか愛されないかもまた別。
運も才能もタイミングもチャンスも、掴むのは自分次第だ。
そう考えられるようになると、子供のままではいられない。
何を言っているのかと言われると腹が立つ。
けど、僕らは僕らの地獄の中で、これでも必死で生きているのだ。
・・
最近出逢った男の人達も、なかなか人生の先輩な人たちが多かった。
みんな地獄や絶望を何とか乗り越えようとしている。
だからと言って、楽観的に能天気に「生きろ」とは言えないけど、
「生きていれば良いことがある」とも言えないけど。
なんとか乗り越えて、会いたい時に会おう。