散文 日記 持て余してる時間

みんな、相手が死なないと思っているから、そんなことが出来るんだ。

それは、どんな事でもそう。誰でもそう。

壊れないと思っているから、壊れるまでする。

大丈夫だと思っているから、壊れた時に、そんな事を言う。

怒られない、やられない、やり返されないと思っているから。

平気で、堂々と、そうして生きていられるのが人間。

人が死んだ後に、もっとこうすれば、こういう事になるなら、と言いだすのだ。

それは物も一緒。命あるモノに対しても、皆そう。

それこそ「怒らせチキンレース」と同じだと、だから言っているのだ。

僕は不安になりやすいけれど、それは全部に対してでは無くて。
誰だってそうだと思うよ。

相手が子供だから言える。
相手が自分より立場や力が弱いから。

自分が出来るから。自分が好きだから。
自分が出来る事は相手も出来て、自分が知っている事は世界の共通認識みたいに思い込んでる。

自分が好きな物は良いもので、自分が嫌いなものは悪いものとする。
そんな事を拡大解釈したりして別に自分を強く賢く見せようなんてのは思っていない。

ただ、その経験した分だけ成長して、物事の見方を変えているだけ。

・・

僕は普段、意外とストロングスタイルばかり見ている。

自分が一番公言している自分は「弱い自分」。
でも、現実で僕が見ている世界は「強くありたい自分」。

男たるもの強くあれ、みたいな精神根性論も理解しやすい。
異常なスパルタ思想みたいなものも受け入れる素養がある。
実はそう言うのを見て、自分の弱さを理解している。

人間はというより、男は。
社会人というより経営者は、みたいな話に賛同したいの。

・・

日本はここまで外国から影響されているのかと思った。

それは日本の政治や国、社会、企業がそうだったように、僕らも外の何かに影響を受けて生きている。

だから知りたい。知らないと良くないとは言わない。
僕は知った上で生きて痛い。

他の事は、本当に面倒で怠い家事と買い出しとコインランドリーへ向かう道中に忘れた。置いてきたのだ。

世界とここでは書くけれど、地球の歴史から見て、人類の歴史から見て。
今、僕らが生きているこの世界は、とても小さい。

小さいとはいえ、僕は「小さいから何だというのだ」と返す。

地球の大きさに比べたら、空の広さに比べたら。
またそういう事を言う。

けれど思った。
地球の大きさとか、何かと比べてモノを言うけれど。

そもそも、比べるものの隣や近くで生活している人間は、悩みや苦労なんて無いのだろうか。

富士山のふもとで暮らす誰々さんは、悩みも苦労も人間関係も上手くいっているのだろうか。

その人たちは悩みや考え事に行き詰まると
「富士山と比べたら自分の悩みなんてちっぽけなもんだ」
○○と比べたら自分なんて、と本気で言って過ごしているのだろうか。

僕はそういう時に、時分よりも不幸な人はいる、恵まれない国の人たちがいる、と言われるのが大嫌いだった。

発展途上国や自分よりも貧乏や恵まれない国の人、戦争をしている国や殺し合いをしている人たち、と言われて、そうやって苛立っていた。

けれど、今もし僕の近くに、戦争で亡命なり、一時的に僕らの近くに逃げて暮らしている人がいたら。

僕は「その人と比べて」と少しは今は言える。

・・

・・

100年200年先の自分たちの事を考えて計画し実行している。

そういう話、わかる?

中には、
「そんなこと考えて生きてる奴(人間)なんていない」
と言う人もいると思う。僕も言っていると思う。

そういう人間なんているはずがない、そんな事をする人間なんて、馬鹿だ馬鹿げている、と。
そんな事はしない(出来ない、出来るはずがない)と考えているから、それを想定をすることが無いのだ。

人類、人間を、お前と同じ、お前と一緒と思うな。考えるな。

世界には、世の中には、社会には、人間には、お前や僕ごときでは分からない。知る事も死ぬまでない。今この瞬間でも想像が出来ない人間が生きて、今も、今までも、生きて、繰り返して、その上で、僕らが今この時代に生きているだけだという事も考えなくても、別に人間は死んだりしない。

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・・

自分が弱くて招いた災い。

自分が悪かった事や、甘かった事、少なからず自ら招いていると思える事は僕を大きくしていると思う。

・・

運の話。

自分以外、他人や社会に対して、良い事をすれば自分にも良い事が巡り巡って返ってくる。

それって考え方次第。けれど、自然とそこに落としどころや納得できて、腑に落ちることが出来る。

人間として落ちたくないから僕は強く賢くなる。

人間、下を見たら下を見れるから。

・・

人に良い事をしたからと言ってその日にその人から良い事が返ってくるとは思わないでしょ。

一年前にした良い事が返ってきて、宝くじで一万円が当たったのかも。

10年前、拾った財布を交番に届けた行為の返りが、今日の美味しそうな半額のお惣菜をいっぱい買うことが出来た運だったのかも。

これでどう思う?

気にし過ぎは病気。

気にし過ぎも考え過ぎも、したからと言って、正しい訳でも、いい結果になる訳も一切ない。一切、限らない。

僕はもうそういう事、気にしてしまう感覚、心当たりがある。
覚えがあるよ。だから、もう大丈夫だ。

なあ。

不幸中の幸い。

自分が、昔にした悪い事、どうする?

それぞれの思いがあって誇張したり演技したりするのが人間でしょ。

ある事を無いと言いたい人もいるから、社会は群像しているというの。

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