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オリジナリティの量産 自分の価値と価値観を見誤りたくない

あなたにしか書けない文章がある。

僕はそう思わない。

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今だと生成AIで文章は作れる。

今はまだ違和感があるかもしれないけれど、それもすぐに改善するだろう。

僕の至らない(足りない)文章よりも正しい日本語で理想的な表現すらも簡単に誰でも作れるようになる。それっぽく、より、更に十分なレベルの物が出来るようになると思う。

話が少しそれるけど、僕が今、読んだり見たりしている人の日記。
勉強になったり、気持ちを落ち着かせる文章がある。
けれどその中にも、
「これ人間っぽくないな」
「これ情報を羅列してるだけだよな」
と、勝手に、思いながら読んでいる日記もある。

それは、その文章を書いている人、誰が書いているのか、言葉や画面の向こうの作者の人間を意識していない。

それでも僕にとっては勉強になる文章。感化されたりもする。
忘れかけていた事、我を見失いかけている事。
新しい事の、気付きになっていたりする。

それと同じような文章がネット上には大量にある。

同じような内容(情報)で、同じように集約されている。
同じように、読みやすく、わかりやすい。
検索されやすい、簡単に読める、羅列された文章がある。

それでも、朝の家を出る前、一瞬だけ読んで、気持ちを引き締めることが出来たりする。

人間なんてそんなものなのだ。

人間が書くから、生身の人間が、存在する人間が、誰が書くかの問題だと言うけれど。

それなら、なおさら人間性を露呈しなければ、ひとりの人間として価値を発信して見出してもらえなくなる。そういう事になると、また間違った方向の人たちが更に増える。

これから、苦しくなってくると思うよ。

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僕の日記なんて何の意味があるのだろう。
誰が読む。僕に子供がいたらその子供がいつか読むか?
どっちにしても、自己満足の域は出ない。

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あいつは良い奴だった。

○○はこういう人だった。

そんな事は誰だって言えるし、誰に対しても言おうと思えば言える。

良い奴だから何だと言うのだ。
いい人だったから、何をしてくれるのだ。
いい人だから、何をしてもらったんだ。

人は人、他人だ。
どこまでいっても他人だ。

最低だが、家族でなければ死んだってかまわない。
どこまでいっても、それ以上でも以下でもない。

悲しくもない。これが現実だと言うには幼い。

僕がいい人だからって、道行く人が僕に一万円をくれる訳でも無いし。
君がいい人だからって、君が死にそうなくらい大変な時に、助けてくれるとは限らないし助けてと言っても「ごめんね」「ごめん、今忙しいんだ」と、言われて終わりだよ。

他人に期待するな。所詮は他人。自分の事は自分で。

そういうけど、自分一人で成り立つ人生なら苦労しないよなあ。

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馬鹿は自分が馬鹿だと分からない。

いくら説明されても、その説明を理解する知能が無いからだ。

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僕は悪い事も考える。
悪い事と言うのは「犯罪行為」ではない。

人と話をしていて
「こいつ何か悪いことしそうだから、最初から気をつけておこう」
「相手にしなくていい(無視しておこう)」
そういう事。

「こいつ何か悪いことしそうだから、先に悪い事してやろう」
「こいつ馬鹿だから上手く利用しよう」
ではない。

若い人や子供は騙されやすい。

無知が故に妄信する。過信が故に狂信する。

その時はその時で。
後からなら、今なら分かる。

そうやって子供や許されたりする。
無知は、見逃されて、見放されたりしている。

そこで自分の姿や言動に気が付くことが出来ずに、成長することが出来ないと一生同じような事を繰り返すだけの人生になる。これだけは断言できる。

変わらないから同じような間違いをする。

変っていないから同じような過ちが起きる。

変れていないから同じような出来事を繰り返す。

自分だけが変れていないと、世の中から外れて孤独死に向かう。

同じ事ばかりは飽きる。
飽きないのは脳と心が人間として腐敗、劣化したから。

それしか出来ないからだ。

必ず飽きる。
僕は飽きてはいないけど、疲れ切ったから。

でも、これは飽きているようなものだ。
人間は年と共に、肉体と共に精神と知能を進化させないと。

朽ちるだけ。

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