夜に

隣の県に来た。
今、太り過ぎて体中が痛い。

本当にこの2ヶ月くらいでここまで人間は劣化するのかと思った。
これは老いだろうな。

昔のようにはいかないけど、覚えている。
2年前は、無茶苦茶な事をしても何とか手を打てばリカバリー出来た。

それが今は痛めば傷んだ分だけ更に酷くなる。
次の日も、いつまでも治らない。

・・

仕事で汚れて、虫に噛まれ、汗をかく。
息切れしながら、かゆい、荒れて痛い。

苛立ちで怒りの力で身体を動かしているような、気持の悪さ。
一人で作業して、運ぶ。

・・

先月も今月も僕は最低な気分。
仕事も何も、やる気が出ない。

やる気だけでどうにかなるなら、
最初から誰も僕に助けも連絡もして来るな、と思う。

とりあえず、今は、ひたすら耐え続ける軽い拷問みたいな日々を過ごす。

・・

決まっている仕事を何とか何とか最低限こなして。
最低限の用事が済むと僕はまた停滞滞留する。食欲もないけど食べる。

無駄に体力は残ってしまう。だから何をしていても気分は良くない。
といって、部屋で休んで寝ていても、事が済まないから困っている。

・・

言いたげな言動しかしない奴を観ていて気が付いた。

僕が今のこの感情の中で働いて、毎日過ごしていたら。
もっと感情をそのままに、好きな事を思ったままにしていたと思う。

他にも選択肢はあるから分からない。けど、僕はどこにいても、どこで何をしていても、今に辿り着く気がする。

「たられば」は存在しない。

けど、今とそこまでは変わらない人生だったと強く想う。
経験をして、変わらない感想に着地をしていると思う。

・・

そういえば、東京の生活はもっと狂っていたと思う。

働いてもお金が足りない。
正社員だから、アルバイトだからではない。

単純にお金の出入りが激しかった。そして額も大きかった。
身の丈を超えていたのかもしれない。

浅はかな経験や知恵しか持っていない餓鬼の僕は、人間の欲望を相手に、対等でいられる訳が無かったのかもしれない。無かったと思う。

ご飯も電気もお風呂も、普通の生活を送っていなかった頃。
そんな普通にもなれない、入れない状態だった頃を思い出す。

僕が家族に対して、怒りや、突き付けている感情、言動。

だから、はたから見ると、「僕ら」は全く同じようなものだと思った。

なぜなら僕が東京で一人暮らしを始めた時の言い分と、
今のその言い分が全く同じだったからだ。

実際は、別物(別人)だし、している事は当然違う。

ただ今の僕の立場や見え方が、
当時の僕の周りと同じようなものだったのかな、そう思う。

僕から見えている姿は、完全に当時の自分。
自分への理想や期待が、現実と乖離し過ぎている。

それでは現実の姿と理想の自分とが合致しない。

だから安定も成功もしないのだと思う。

自己正当化で、自分の言動に気が付かず、他人への言動が変わらない姿は、当時の僕と同じと思う。

・・

これは僕の業であり 運命なのだ。

同じことを自分がしているのだから、自分も同じ目に合うのだ。

今まで自分がしてきた事を、他人がどう受け止めてきたのか。
それを僕はこの期間で突き付けられているのだ。



僕が「死ね」「死ぬぞ」と言うように、
僕も「死ね」「死ぬぞ」と言われたら

「どうぞさっさと今すぐ死ねよ」と言うと思う。

これもそう。

立場や状況が違うとはいえ、僕が同じことを僕に言えば、
「じゃあ死ねよ」
と僕なら僕に言うかもしれない。
断言できないのは僕は良くも悪くもお人好しで馬鹿で弱いから。

もしかしたら。
僕が僕に言われたら。

どう返すのかは一生解らない事かもしれないね。

そして僕は、そう言いながらも、ここまで生きてこさせてもらった。
立場や何より、関係性で生かされていただけ、と理解しています。

・・

毎日、夜になるのを待っている。

夜になれば何かある訳ではない。

夜になれば夜で退屈する。

お金も無いので、請求書や督促状を見るのも苛立つ。

どうしてここまで僕がこんな仕打ちや目に合わなければならないのだと言いたいけど、言っているけど。
それは僕がしてきた事が僕に帰ってきているだけなんだと思う事で、毎日、最後は収拾を付けている。

・・

「ここ、○○に似てる」
「○○みたい」
と懐かしいような気分になる。

初めてきた場所も、どこかに似ている気になる。
何か縁があったような気持ちになる。

僕は過去を振り返りながら毎日生きている。

「(過去を振り返る)そういうのが良くない」
と言う人もいるけど、煩い。

黙ってろと思っている。

どこか懐かしい、切ない気持ちで歩いていると思い出したことがあった。

全身の痛みや気持ちの悪さも、どこか心地いいなつかしさに似た恋しさがある。
それは僕が10代20代の頃に散々一人で歩いていた時の事を思い出させているのだと気が付いた。

いま改めて考えると。

僕はずっと一人で歩いていたと思う。
それは精神的な話とか表現ではなくて、ただ本当に延々と一人で歩いていたと思う。

特に大阪の5年間。

一人で回って、一人で帰って、自分の部屋で一人で寝る。
そういう生活が僕だった。間違いない。
いつの間にか一人でいる事が苦痛になった訳ではない。
昔から僕は一人が好きな癖に、いつも不安で。

孤独が辛かった。

・・

僕の下書きは酷い。

昨日、僕は高木さんと電話をした。
去年の空港以来、電話もまともに出来ていなかった。

高木さんは僕の日記を知らないと思う。
そりゃそうだ。こんな日記、自分でも生き恥過ぎて申し訳ないなと思う。

高木さんは僕の恩人の一人。尊敬している。
こんな僕を高木さんは気にかけてくれて、面白いと笑ってくれる。

だから今、こうして僕が中途半端でいる事を申し訳ないと思う。
面白さの欠片も無い今の醜い自分を見せたくない。

高木さんは昔の経験からか僕に日記を書けと言ってくれる。
僕が日本語が下手だから上手く書けないと伝えると
「そこは出来る人と組めばいい」
と言う。

僕はこんな落ちぶれて沈んでいる姿は見せられない。

いくらタイミングが合って、会いたくても、会えない。
見せられない。だから僕は会わずに帰った。

・・

行く当てもなく、外にいる。

noteからの告知を見た。

僕の気持ちは、どこかに遺そう。

・・

僕は大人しくなれないと思う。

大人になる過程で、勉強から始まり、忍耐力や我慢、今まで散々僕がしてこなかった事を経験や訓練して共生して人間は大人になっていくのだと思う。

その中で、感情のコントロールが出来ない人は自制心を学ぶか訓練して変わっていくのだと思う。


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