人間の教育、魂の成長とは
ルルは、トイレが問題点だ。
実はこれはジョンも同じだった。
何気にトイレの躾が一番大変だ。
ジョンの時、1年間僕が一人暮らしで勝っていて躾けることが出来なかった。結局、実家に来てからトイレを覚えたけれど、それは外でトイレをする事だった。
それを覚えるまで、ジョンはトイレを我慢していた。
膀胱炎にもなった。
トイレがどうしても上手に出来ず、僕も正しく教えることが出来なかった。
ルルも今、同じだ。
特に露骨に震えている時は何かしらトイレの知らせだ。
とはいえ、トイレをしなさいと言ってトイレをする事はない。
なぜなら、どうしたらいいのか、が解っていないからだ。
ジョンの場合は、1年間、トイレだけは僕も教えることが出来ず、ジョンも正しく理解できなかった。だから、家の中ではトイレをすると怒られる、という事を理解してトイレは外でするものになった。
ルルは、今はオムツをしているけど、どこでトイレをしたらいいのか、トイレをすれば怒られる(トイレをすれば家族がオムツを変えたり身体を拭いたり洗ったりする)だから嫌がっている。怖がっている。
だからトイレを覚えられない。
この覚えられない、理解できない、教えられない、は人間でも同じだ。
動物を人間を一緒にして考えるのは今でもどうかと言われそうだけど、意志を相手に伝える行為という意味では似ていると僕は思う。
子供も、なぜ、怒られているのか分からない。
だから怒られても拒否や拒絶反応をする、反抗や反論をする。
なぜなら、言われている意味が理解出来ないから。
言われている事が理解出来れば相手が言っている事が間違っているかどうかの返事も出来る。けど、そこで相手が間違っていると思っているのは双方だと思う。
ここで言えば、犬にトイレの躾を正しく教えることが出来ない僕。
躾の仕方、褒め方、注意の仕方、環境セッティング。
これを根気よく、感情的にならない様に極力優しく丁寧に。
それでも出来ない、理解できない相手に対してどこまで親身になって大切に説明できるか。
説明の仕方が間違っていないのか、自分の行いが間違っていないのかを多角的に見る、物事を考える。
あとは相手がどうするかは相手の問題や相手次第だ。
人間も犬も同じだ。
分からない奴は分からない。理解できないなら理解できない。
・・
子供や若い時、死にたいと言って叫ぶ行為が表現の一つに思っている節がある。
僕も、例えば
「死ね!!」
「死にたい!!」
と叫べば、発狂すれば、それが一芸のようになっていたと思う。
今、あの時の自分の気持ちや考えている事は思い出せない。
ただ、何となく見えるのは、人間の感情や表現というよりも、怒号を上げている人間や、大きな声で、目立つような、奇をてらっているような、異常者が目を引くのと同じ感覚なのだと思う。
10代や20代のカッコいい、綺麗な、妄想するような像。
それが漫画や創作物の様な表現をしているとカッコよく見えるのだ。
でも、それは違う。
実社会で、街中で、社会で、家の中で、周りで、いつも怒っていたり発狂したり泣いたりキツイ言葉を吐いている人間がいたら、それを普通の視点で、日常生活の中で、そういう人間がいたら、そいつは馬鹿にされて笑われて誰からも相手にもされないだけで終わるだろう。
けど、それが子供や若いうちは、相手にしてしまう。
目に付いてしまう。
なぜなら、そういう人間が珍しいからだ。
珍しい、真新しい存在だ。
それか、周りで当たり前の事だと思うけど、感情を爆発させているような人がいないから、変っていると言うか面白いから好奇の目で見ているだけだ。
これが大人になると、死ぬ程、掃いて捨てるほど、相手にもしない覚えてもいないくらいの数、そういう変な人を見ているのだと思う。
だから、そういう人を見たことが無い人は、年齢に関わらず、感情的な人や過激な表現をしている人間を始めて観た時に興味を持ったり感心したり斬新な才能に見えるのだろう。
それは畏怖というより、見世物小屋。
僕も昔、変った人や事が好きだったり、気になっていたと思い出す。
でも、僕が奇人や変人のように見られて、褒められたり承認されても、一切嬉しくも誇らしくもない。
今はそれがどれだけカッコ悪くて恥ずかしい事か分かるとは言わない。
ただ、僕が経験して、年と共に価値観や世界が変わったからだ。
いつまでも画面の中の世界と現実社会を、同じ価値観や生活線上に考える事の、浅はかさよ。
・・
僕もそうだけど、落ち着けないのが子供なのだ。
例えば今の僕が読める文章や内容を、昔の自分が読めるとは思えない。
ちょっと落ち着いてこれを読め!!
と言ったところで絶対に読まない。読めない。
もしかしたら何かの偶然や理由があって読んだとしても。
その内容を今の自分と同じ読解方はしないと思う。
それが悪いと断言している訳ではない。
ただ、簡単な事が理解出来ない内が子供だとして、簡単な事や日常生活の中の事は経験者の意見を理解する事から成長や学びが生まれる。
大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、その人にとって生きるヒント、あるいは大きなチャンスや特別な分岐点になる事は、先人たちから受け継いできた知恵や知識の土台の上で導き出す答えだと僕は思う。
・・
あと思う事は、僕の親や家族は、僕が言う問題は気が付かないと思う。
・・
ルル(犬)が、我が家に来てから、懐かない、慣れない、落ち着かない理由は、我が家の中の問題、煩いからだ。
でも、ルル自体に家族や僕が怒った事はない。
家から飛び出そうとしそうな時は当然注意はする、トイレの失敗の時は声を出してしまうけど、それでも怒鳴ったりはしていない。
自覚の有無ではあるけど、ジョンの時の事を僕ははっきり覚えているので、気をつけている。
けど、家族間は別だ。
今生き残っている家族。
僕と親、僕と婆ちゃん、母親と婆ちゃんは変わらない。
この間の問題、喧騒が問題なのだ。
僕も物心ついた頃からこの家だった。この家庭だった。
母親はこの通りだ。
爺ちゃん婆ちゃんっこではあるがこの家この家族の中で生まれて育っている。そして今、自分の問題を理解して、解決するために立ち向かう中。
愛着障害や問題で、自分が安心できない、自分の居場所に安心や安定が無く落ち着かないから不安になる、そして見捨てられ不安や、そういう問題がある人間たちの特徴や引き継がれていく問題。
毒親問題も機能不全家族も、カサンドラも、この安心や安定が生まれない環境を本人たちが作っている事に気が付いていない事が更なる問題や結末を産んでいるのだ。
ルルは、僕の問題、我が家の問題を察知して、震えているのだろう。
落ち着かないのだろう。そういう部分もあるだろう。
僕の親も、自分は悪くない、と色々と言える言い分がある。
それは家族全員それぞれがそれぞれの言い分を言うだろう。
僕も同じように言っているだろう。
例えば。
僕に暴力や虐待をしていないと言っても、家族の中で同じような事が起きていたら行われていたら、子供は、その事を無関係として、無視して、自分には影響が無いと思いながら生きて成長するのでしょうか?
説明が下手で申し訳ない。
当事者たちが見えていない事は、真っ暗闇の範囲。