noteのコメントについて、あらためて考えてみる
noteのコメントについて、あらためて正面から向き合ってみたいと思います。
私にとっての、noteのコメント
私にとって、noteのコメントは、”人づきあい”そのものです。
みんなでわいわいとお話するのが好きな人もいれば、気の知れた人と会話を楽しみたいという人もいる。どんなコメントをすべきかという正解はなくて、それぞれの心地よい状態で、それぞれのコメント、すなわちそれぞれの人づきあいを楽しめたらそれでいいと思っています。
私は、コミュニケーションの場で、輪の中心にいるタイプではありません。
でも、どこにいても友達になりたいなと思う人たちに出会ってきました。
私は自分から話しかけるのが苦手ですが、おひさまのようなぽかぽかした人たちが、そんな私にも話しかけてくれました。
そして、いつもそばにいてくれました。
自分と仲良くしてくれる友人たちを、私はずっと大事にしようと心に決めています。
noteでも、それは変わりません。
noteにおいても、私は自分からぐいぐいと率先してコミュニケーションをとれるわけではありません。はじめはしばらくひとりぼっちでしたが、話しかけてくださる方々がいてくれたおかげで、少しずつ自分のまわりの輪が広がっていきました。
noteでは、しばらく話していないな〜という人もたくさんいます。
でも、これまで仲良くしてくれていた人は、私にとって大好きな人で、大事な人です。しばらく話していなくても、関係が途切れたわけではなくて、またいつかお話しできたらいいなと思いながら、noteをつづけています。
コメントをするときに意識していること
よく考える
誠意を尽くす
noteでも、日常生活でも、人づきあいにおいて私が意識していることはこれに尽きます。
でも、noteだからこそ、意識していることとしてあえて言うならば、私はnoteで「3割増いい人」を目指しています。
普段人と話すときは、表情や声でニュアンスが伝えられますし、相手の反応も即座に判断できます。しかし、noteでは言葉だけで判断されてしまい、相手の反応も言葉から判断するしかありません。
言葉だけだと、こちらの意図とは異なる理解がなされてしまう可能性も大いにあります。
それに、日常生活で出会う人とはまた会える可能性が高いので、誤解が解けることもありますが、ネット上では一度すれ違えばそれっきりとなってしまうことも少なくありません。
なので、いつも以上に言葉の使い方には神経を使っているつもりです。これはコメント欄に限らず、noteの本文でもそうです。
それでも、ついうっかりボロが出てしまうこともあって、「ももちゃん、なんだか黒いものが見えるよ」と言われることもあります。
そういうときは、「あぶない、あぶない」と気を引き締めるのですが、なぜか「そんなところが好き」と言われることもあります。
好きと言われたらサービスしたくなってしまうので、そういう方にはちらちらと本性を垣間見せています。おいおい。
いいコメントとは?
コメントを受け取った人に喜んでもらえたり、感謝されたら、それはいいコメントだと言えるんじゃないかなと私は思います。
誰かの記事にコメントするときは、そういうコメントを目指しています。できているかどうかはともかく。
また、自分の記事にいただいたコメントに返信するときも、コメントしてよかったと思ってもらえることを目指しています。
うれしいコメント
凝った文章ではなくとも、たとえば「桃子さんの文章が好きです」と言われると、たった一言でもキュンとします。単純ですね。
読み込んでくれたことがわかる文章ももちろんうれしいです。具体的にどこに感動したとか、どこがよかったとか評価してもらうことも、文章をよく読んでくれたんだなぁとじーんとします。
noteをきっかけに考えてくださったことを伝えてもらったり、質問されたり、アドバイスをもらったり、おすすめのnoteを教えてもらうのも好きです。
それから、「泣きました」もすごくうれしいですが、それと同じくらい、もしくはそれ以上に「笑いました」と言ってもらえるとうれしいです。
私は、あんまり普段面白い人じゃないので、いつもはまわりの人に笑わせてもらってばかり。そんな私が誰かを笑顔にさせられたんだなと思うと、心がぽや~っとします。
いろいろと書きましたが、記事を読んだうえで、コメントをしようと思ってくれたこと、そのきもちがまずうれしいです。
コメントを書くのって勇気が要りますよね。
そのうえで、コメントが、率直にその人から出た言葉であると感じられると、言葉がすっと私の心にも入ってきます。
でも、なにをうれしいと感じるのかは人それぞれ違うので、自分がうれしいと思うことが絶対ではありません。相手の本当のきもちを知るのは難しいですが、相手がどう思うかと配慮することは忘れずにいたいです。
嫌なコメント
基本的には、どんなコメントであっても、コメントをいただけたことがうれしいです。
ただ、いただいたコメントを見て、誤解を生む表現があったことや、自身の誤解に気づかされたり、自分の考えの未熟さを痛感したりしたこともあります。
そういう場合は、私自身のことを考えて言ってくださっているので、ありがたいなぁと感謝しつつ、コメントを受け止めます。
誤りを認め、謝罪するときもあります。
そうではなくて、相手の方が曲解してしまっている場合、あるいはマナー違反だと感じられる場合も、ごく稀にあります。
そんなふうに嫌だなと思うコメントをもらったときも、できるだけ誠実に対応したいとは思うものの、あまり嫌な言葉を正面から捉えると疲れてしまうので、こういう言葉をかけてくる人とは別に仲良くなれなくても仕方がないと思うことにしています。
でも、自分自身もそんな言葉を投げかけてしまっていないだろうか、ということも同時に考えます。自分自身がそういう嫌な思いを人にさせないように、最大限気をつけたいです。
コメントの参考書
ちょっと暗い話題になってしまいましたが、コメントで嫌な思いをするということはこれまでほとんどなく、いつもコメントをいただくたびに温かいきもちになっています。
noteには、ステキなコメントをしてくださる方が本当にたくさんいらっしゃいますね。
ステキなコメントをしてくださる方は、挙げるとキリがないのですが、コメントについてのnoteと言えばこれ、というnoteを知っているので紹介します。
おだんごさんがお書きになったnoteです。
おだんごさんのコメントは、何と言ったらいいんだろう。おだんご節としか言いようがないですね。むぎゅっと距離を詰めてくれるのが、なんだかとてもうれしくなっちゃう、そんなコメントです。
上の記事は、コメントに関する有料記事ですが、買って損なし、コメント達人のおだんごさんの流儀を知ることができます。上の記事から学ぶことはすごく多いのですが、おだんごさんのコメントはやっぱりおだんごさんにしかできないなぁとも思います。
noteのコメントは人づきあいそのものと私は言いましたが、おだんごさんのnoteを読むと、おだんごさんがnoteでの人づきあいを本当に楽しんでいらっしゃるのが伝わってきます。
私は、noteにおいても、日常生活においても、人として大切なのは「人からどれだけ信頼されているか」だと思っています。
おだんごさんは、人からの信頼が特に厚い人です。
人のために何かができる人って、すごくかっこいい。
それをステキに示してくれるのがおだんごさんです。
これからのコメントとnote
私は、noteのコメントに救われたことが何度もあります。
自分が本当にダメな人間に思えてしまって思い悩んでいたときに、声をかけてくださる方がいました。
私が落ち込むたびに、手を差し伸べてくれる人がいました。
挑戦することを怖がっているときに背中を押してくれる人がいました。
一緒に怒ってくれたり、一緒に喜んでくれたり。
私の考えを面白がってくれたり、私の文章に泣いてくれたり。
私が間違っているときに優しく教えてくれたり、私が自信を失っているときに大丈夫、間違えてないよと諭してくれたり。
たくさんのエールをもらいました。
いただいた優しいコメントに、泣かされたことが、何度もあります。
大げさに言っているのではなく、noteでいただいたコメントのおかげで、わたしは今しあわせだと感じられているのだと思います。
私は、いまnoteに対して、あまり具体的な夢や目標を持っていません。
いまの率直な気持ちを言うと、私はすごく満たされています。
noteに来れば、会いたい人に会えて、温かい言葉を交わし合って、noteを飛び越えて物を送り合ったり、実際に会うことができたりしています。
また具体的な目標ができることもあるかもしれませんが、現時点ではこれ以上を特に望んでいません。
ただ、これまでたくさんのエールをいただいてきたので、これからはエールを送る側に回っていけたらいいな~とぼんやり思い描いています。
この記事は、【note勉強会コメントについて】に参加する記事として書きました。
みなさんもコメントについて考えていることがあれば、ぜひ教えてください。
最後になりますが、いつもコメントしてくださっている方々に、改めて御礼申し上げます。
いつも、みなさまからの言葉が、何よりの励みになっています!
みなさまもnoteのコメントを楽しめますように。