お客様は神様ですか?
私がアルバイトをしているイタリアンレストランは、良いお客さんに恵まれている。
お店の味やシェフのキャラクターが好きな人が通ってくれるから、混んでいる時も急かさないし、こちらが手が空いたタイミングを見計らって注文や会計の声をかけてくれる人が多い。満席でホールがバタバタしている時はお皿を下げるのを手伝ってくれる常連さんさえいる。
それでも時折、悲しいすれ違いが起きることがある。
客商売だし、飲食業が厳しい時代だからこそ余計にお客さんを大事にしないといけないことはわかっている。でも、そうしづらい気持ちになることもたまにあるのがこの仕事の大変さだ。
食事を残されるのは一番悲しいこと
なんといっても一番悲しいのは、シェフが心を込めて作った料理を残されることだ。お客さんに美味しいと喜んでもらうためにシェフが深夜まで仕込みをしている姿を見ているだけにスタッフとしても切なくなる。
ある時、若いカップルの女性の方がパスタをほぼ残し、スプーンですくってバゲットにつけて食べるレバーペーストも、ぐちゃぐちゃにつついた状態で半分以上、残して帰ったことがあった。
「お口に合いませんでした?」と言うと、「お腹いっぱいで」という。細身の女性だったので節制のためなのかもしれない。
シェフは私が下げてきた皿を見て、「美味しいのになあ。なんでだよなぁ」とガックリしている。
シェフはどんな料理を作る時も毎回、味見をしているから、おかしな味のものを出すことはない。茹ですぎたパスタは出さずにすぐに茹で直すから、アルデンテでないパスタを出すこともない。
宴会コースの場合、うちの店ではパスタを2品出すが、お客さんのお腹具合を直前に確認してシェフはテーブルごとに量を調整する。残されたくないからだ。それでも、話に夢中になって料理はそっちのけになり、冷めたまま残されることもある。
そんな時はシェフに見せないようにこっそり廃棄しようと思うのだけれども、そういう時に限って手が空いたシェフがお皿を下げるのを手伝ってくれたりする。残された皿を見て、悲しげな顔をするシェフを見るのがスタッフとしてもたまらない。
中には「色々食べたくてたくさん頼んじゃったんだけど、お腹いっぱいになっちゃってごめんなさいね。でも美味しかった!」と、カジュアルに残す人もいる。
どうしても口に合わないなら仕方ないが、それでもどうか食べ切れる量、食べられそうなメニューだけ注文して完食してほしい。心の底からのお願いだ。
値切ったり、特別サービスを要求したりするお客さん
特別扱いを自分から要求するお客さんと出会った時も悲しい気持ちになる。
宴会のコース料金を値切ってくるお客さんがたまにいる。
うちの店では飲み放題込みで6000円と7000円のコースを用意しているのだが、ある時、これを「4000円にできないか?」と大幅に値切ってきたお客さんがいた。
通常、飲食店では原価率が30%ぐらいで元が取れると言われているが、食材にこだわるシェフは、それを遥かに上回る原価率で料理を出している。その努力を無視して、飲み放題込みで4000円で満足できるものを出してくれというのがいかに無理な要求かわかってほしい。
この時、シェフは「その金額だとろくなものは出せませんから」と断った。
さらに、常連さんほどではなく、数回来ていただいたぐらいのお客さんにたまにあることだが、特別なサービス提供を要求する人がいる。
つい先日、シェフと少し顔見知りの中年の女性グループが予約したとして来店したのだが店で把握していなかったことがあった。予約を書き込むカレンダーに名前がない。
幸い席は空いていたので、すぐに問題なくお通しして料理とワインを楽しんでいただいた。「美味しい。美味しい」と喜び、満足していただいたはずだった。
ところが、挨拶に出てきたシェフに、女性たちは何度も「予約を忘れていたのだから、ボトルワインをサービスしてよね!」と迫る。シェフは苦笑いして受け流していたが、その後も繰り返し「グラスワインでもいいから」「じゃあデザートをサービスしてよ」などと言う。
シェフはむしろサービス精神旺盛な人だが、こういう「サービス要求型」のお客さんに遭遇するとパタっと心を閉じてしまう。そしてお客さんが帰った後に疲れた顔をして、そのモヤモヤを店を閉めた後も引きずっている。
長引くコロナ禍で個人経営の飲食店がどこも厳しい経営を強いられていることは、誰でもわかっているはずだ。常連さんたちはむしろ、高めのワインを注文してくれたり、我々スタッフにお酒をごちそうしてくれたりして、お店の売り上げを増やそうとしてくれる。
私も行きつけの店ではお釣りを受け取らないなどして応援こそすれ、店から特別なサービスをしてもらおうなんて思ったことはない。
しかし、中には「少しでも得したい」とギリギリで踏ん張っているお店から上乗せのサービスを引き出そうとするお客さんもいるのだ。
泥酔して店の備品を破壊
これも滅多にないことだが、泥酔するお客さんも困ったものだ。お店にとって、お酒をたくさん注文して飲んでくれるお客さんは良いお客さんだ。しかし、これにも限度がある。
最近、家族で来て飲みすぎた夫婦が店内で喧嘩を始めたことがあった。口げんかだけならまだしも、幼い子供や他のお客さんがいる前で夫婦で殴り合い、蹴り合いになり、店の椅子を一つ叩き壊して、そのまま帰ったそうだ。
翌日、バイトに入った私は、店の片隅に脚の折れた椅子が置かれているのを見て、「これどうしたんですか?」と聞いて前日の悲劇を知った。
椅子の代金だけはもらったそうだが、粗大ゴミに出す費用や新しい椅子を購入して送ってもらう手間や送料などを考えると、店の負担は大きい。その夫婦は、後日、謝罪に訪れることもなかったそうだ。
連絡なしの遅刻、予約の変更で困ること
さらに、地味だけど店として確実に困るのは、連絡なしで予約した時間に遅れたり、予約の人数が減ったりすることだ。
お客さんに予約してもらった時間はその人数分の席を確保しなければいけないから、他に席がない場合、新しいお客さんが来ても断らなくてはいけない。店にとって連絡なしに予約をすっぽかされると、本当は稼げたかもしれない利益をふいにすることもあるのだ。
先日は忙しいランチの時間帯に大人数の予約が入っていたので、何人もお客さんを断ったらしい。ところがその予約したお客さんは連絡なしで現れず、予約の半分の人数しか来なかった。後日、「急に他の予定が入った」と謝罪があったようだが。
また、たとえ連絡があったとしても、大人数の予約が当日までなかなか確定しないのも非常に困る。
「2人プラスになっていいですか?」「すみません。1人減りました」「やはりもう2人減ります」と直前まで五月雨式に連絡が来ると、他の予約が調整できなくなる。店の席数は限られているからだ。
これが常連さんの場合、どこまで注意していいのかシェフも迷う。
先日は「予約2日前からは、人数に変更があった場合はその分の食事代だけはいただきます」というメッセージを下書きし、送ろうかどうかスマホを握りしめながらずっと迷っていた。結局、シェフはそのメッセージを送らなかった。
経営者として常連さんが離れるのを恐れるのは当然だ。そんな飲食店の弱みにつけ込まれているようで、私はこんな時も悲しくなる。
大人数の1時間の遅刻
また、別の日には常連さんから「翌日の午後9時頃から十数人入れそうですか?」と問い合わせがシェフにあった。それも確定ではなく「もしかしたら」という曖昧な依頼らしい。それでも本当に十数人が来れば、ホール一人ではさばききれない可能性がある。
シェフは私にLINEで「ダメもとで明日、午後9時から2〜3時間、ホールに入れませんか?確定ではないみたいなので何とも言えないのですが」と連絡してきた。特に予定はなかったので、私も「大丈夫ですよ」と返して、翌日、本業の仕事を終えてから、店に向かった。
ところが約束の午後9時を過ぎてもお客さんは来ない。連絡もない。シェフは「なんだかなあ…」と落ち込んでいる。もう一人のアルバイトは午前中から働いているのに、このお客さんたちを待ってなかなか帰れない。バイト代も当然ながら二人分発生している。
結局、ラストオーダーの午後10時になっても現れないので、シェフは私を片付け要員として残して、朝から入っていたバイトの男の子を帰した。
ところが、その直後に12人が現れたのだ。会社の宴会の二次会らしい。一人で接客スタートである。
予約をした女性は「ごめんなさ〜い。なかなか連絡できなくて」とシェフに軽い調子で言い訳し、シェフも常連さんだから愛想よく答えている。
自分の大切な仕事相手との約束に遅れる時は、この人だって連絡を入れるはずだ。なぜ飲食店だとそれができないのか。やらないのか。
(まぁ、でも完全にすっぽかすよりはマシだよな。来てくれて良かったよな)と私も心を立て直した。
お腹はそこそこいっぱいということなので、ワインと数種類の前菜を出す。通常、午後10時頃にはパスタを茹でるお湯を抜くのだが、「締めが食べたい」と言われてシェフは午後11時過ぎからパスタを作り、お代わりも求められてそれも作った。
おしゃべりは長く続き、ワインも何本も開けていただき、閉店時間を過ぎてもお客さんをもてなした。楽しんでいただけたようだし、売り上げも5万円近くなり、こちらも「終わりよければすべて良し」と気分良くなっていたのである。
まさかの捨て台詞
ところが、帰り際のことだ。その会社の偉い人がシェフの肩に手を回し、からかうようにこう言ったのだ。
「これだけ遅い時間から稼げて、いいカモが来たと思ってるんでしょ」
カチンときた。何バカなことを言っているんだ。連絡なしで遅れたのに笑顔でもてなし、ラストオーダーの時間を過ぎてもパスタを何度も作ったシェフになんて失礼なことを言うのか!
短気な私はつい、その人を睨みつけたらしい。帰った後、その表情を見ていたシェフに「お客さんに失礼だろう!」と厳しい声で叱られた。
しゅんとなり、謝って、黙々と片付けを始めた私に、シェフは「余ったワインを飲んでから片付けよう」と声をかけてくれた。6000円する美味しいワインが3分の1ほど余っている。高めのワインを勧めておいて良かった。まだ私はこの時は、シェフに叱られても「解せない」という気持ちの方が強かった。
暗い顔でワインを飲み始めた私に、シェフは優しい声で「あの人は前も失礼なことを言って一度ピシッと伝えたことがあるんだよ」と教えてくれた。
うちの店は禁煙で、他にお客さんもいるのに「タバコ吸っていいでしょ」と勝手にタバコを吸おうとしたことがあるらしい。「ダメに決まっているでしょう」と厳しく伝えたのだという。そういえばこの日もシェフは「タバコ吸っていい?」と聞かれて断っていた。
「なんか飲食店を下に見ているお客さんっているんだよな。失礼なことだよな」とシェフが遠い目をしてつぶやく。
ああ、そうか。シェフは私よりずっと悔しい思いを何度も何度も重ねてきたのだろう。それでも家族やスタッフの生活を背負う経営者だから、そんな気持ちをグッと飲み込んでお客さんをもてなすのだ。そんなシェフの気持ちがわかって、私はようやく本気でお客さんを睨んでしまったことを反省した。
お客さんと共に創る最高の時間
印象に残っていることをつらつらと書き連ねてみたが、どうもサービス業を下に見るお客さんは確実にいるようだ。「お金を払っているのだから、自分が上なのだ」と勘違いしているのかもしれないが、本来、お店とお客さんは対等なはずだ。
先日、美容院に行って、担当の美容師さんに「困るお客さんってどういう人ですか?」と聞くと、「やっぱり一番は連絡なしに遅れてくるお客さんですね」と教えてくれた。
「遅れても謝らないお客さんもいます。一定時間遅れると予約時間以内に終えられないので、こちらから断りの連絡を入れることもあります。その間の店の売り上げは無くなるのに、逆に不機嫌になるお客さんもいるんですよね」と苦笑する。
さらに、プロの美容師である彼女に対して、「彼氏いるの?デートしない?」としつこくナンパするお客さんもいるのだという。
「面倒臭いので、そういうお客さんの情報はお店のスタッフで共有します。でも常連さんだとどこまで邪険にしていいのか悩みます」と困った顔をしている。
飲食店も美容院もその他のサービス業も、きっとみんなプロとして技術を磨き、準備をし、最高のサービスを提供しようと努力している。そのやる気やもてなしの心を引き出すのは、なんと言ってもお客さんの心だ。
どんなお客さんに対しても一定の質のサービスを提供するのがプロだろう。でも、サービス業のスタッフも人間だ。自分たちが大事に守ろうとしている店に対して敬意を払ってくれないお客さんに、気持ちよく接することは難しい。
スタッフだけでは質の高いサービスは提供できない。お客さんと一緒に最高の時間を創りたい。サービス業で働く一人として、そんな思いで店に立っている。