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人生、波乗りサーファー

最寄り駅の本屋さんが無くなったことについて、思うことがいろいろあるのでnoteに書きたいと思っていたのだけれども、思っているうちに時が流れてもう3ヶ月がたった。
最近、時の流れから置いていかれがちだ。


温かい家があって、そこが大好きな空間で、母と弟と3羽のインコと暮らしている。母の作るごはんは美味しく、週2程度で自分が作る料理もなかなか悪くない。
なにより、地元のスーパーマーケットではキャベツ半玉180円・白ネギ3本150円・水菜1袋100円…と安く野菜が購入できるのでそれが楽しく、また、野菜を切ることもストレスの発散になる点が良い。
探究心が掻き立てられる講義でひとりニヤニヤして、図書館で読み切れない本を借りて帰る。
週2程度でアルバイトに行き、暇をもてあまして掃除をしながらビールを飲んだりする。そしてやっぱり、帰る家がある。
そんな時にはただ、幸せかもなぁ~~と呑気に思うのだが、ふとした瞬間に寂しさ(あるいは悲しみ?)に襲われる。こんなことを書くと、大学の友人から「また情緒不安定ですやん」と言われるのが目に見える。まあ。そうかも。



日々の計画や反省について書いているメモ帳を落とした。1月10日のことだったと思う。その日大学の図書館で使った以降、姿が見つからない。
大親友からもらったメモ帳だし、最近の生活はそのメモ帳と共にあったので、一気にリズムが崩れてしまって辛い。
大学図書館、落とし物センター、バスの落とし物課などに聞いて回ったけど無かった。警察署の落とし物検索には、2件、ひょっとしたら私のメモ帳のことかもしれない拾得物件情報載っていたので、近々電話で詳細を聞いてみようと思っている。
電話をかけることに少しは慣れたが、22になってもやっぱり苦手だ。第一声で、不必要に謝ってしまう。「あっ、すいません、落とし物についてお聞きしたいのですが…」って感じに。

ところで、メモ帳は、誰かに拾われてその人の元で楽しまれている可能性もあると思っている。
見られて困るようなことは書いていないけれど(例えば犯罪の記録とか、ドストレートな個人情報とか、うーん、性癖とか)、もし自分がメモ帳を拾った時に中身をしっかりと読んでしまうような人間だったなら、メモを読み物として面白く消費するかもしれない。日々の葛藤と工夫がありありと書かれていて、きっと興味深いから。
誰に公開する気もない、意のままの言葉には、ある種の人を惹きつける力があるように思う。
だからって、メモ帳の帰還をあきらめたわけではない。ああ、もしこのnoteを読んだ人(もしくはあなたの知り合い)で、オレンジのメモ帳を拾った方が居ればご一報ください。オレンジ色です。


そう、寂しさあるいは悲しみについて。
大親友からもらったメモ帳を無くしたことや、最近犯したありえないミスのことを考えたり、父方の祖父(父と母は離婚しており、私は父とあまり仲が良くない。父が悪いので。父が悪い、と言い切れるようになってしまった自分も悲しい。でももう悲しみ尽くした。)と食事に行った時見た涙について思ったり、多分そういう心の動きの果てで、突然寂しさや悲しみに襲われるのだと思う。たぶん。いつでもそれらは、なんとなくやってくるけど、たぶん。
まだ自分の悲しみに気付けるうちは、元気な気がするのでよしとする。
いつからか、悲しい時には頭の中で、ザ・フォーク・クルセダーズの「悲しくてやりきれない」が流れるようになった。1968年リリース。古すぎる渋すぎる。そんな自分を面白くも思う。変だと思う。こんなに悲しい曲を他に知らない。


とことん散文になったので、とことんに振り切るあとがきで終わる。
好きな文章を書く人達のことが、本当に好き。takeiteasyも誰かにとってのそういう存在であれば嬉しいと思う。
全肯定してくれるお姉さんたちが好き。人生の先輩。
かっこいい生き方を貫いているバンドが好き、そろそろ新譜が出る。
今年の目標は【ひゅるりひゅらりしつつ、地に足をつけて着実に成長する】こと。身軽さを兼ね備えて、踏みしめていきたい。

あと、最近の曲。振幅がすごい。そんな自分がおもろくて好き。
これを聴いている自分が好き、みたいなのをダサいとする風潮があると思うのですが、最近、そういうのをダサいと突っぱねるのではなくて正々堂々認めていきたいと思います。”好きな物が明確にある自分”が好きな人を愛します。そして振幅がすごい自分も。



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