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紅の豚とヘーゲルの弁証法。野暮な世界も粋な世界もどちらも捨てがたいことについて
我ながらずいぶんなタイトルをつけてしまったものです。
今回は、なぜ2ヶ月もの間noteが書けなくなっていたのか、
そしてまたなぜ再開し始めたのかについて、タイトルを回収しながらお伝えできればと思います。
さて、6月も7月もnoteが書けなかったのは、わたしの中にいる「ジーナ」と「アメリカ野郎」が喧嘩していたことが原因でした。
(この2人はスタジオジブリ作「紅の豚」に出てくるキャラクターです)
ここでいう「ジーナ」とは、
「C’est la vie(セラヴィ)」=これが人生さ
とか
「ここではあなたのお国より、人生がもうちょっと複雑なの」
など、ちょっとアンニュイな顔をしながら遠くを見つめるオトナな文学的世界のイメージです。
一方で「アメリカ野郎」とは、
「問題を“合理的に解決”してより良い人生を歩みたい」
とか
「シンプル イズ ベスト!」
「理想を描いて“効率よく”叶えるには?」
など、自己啓発や成功哲学、ハウツーの世界のイメージです。
(あくまでわたし個人のイメージなので悪しからず、、)
ジーナとアメリカ野郎のうちどちらか1人なら、あるいは明らかにどちらかの存在感が大きければ、そのポジションで行動を起こしていけばいいのでしょうが、
なにせわたしの中にいるこの2人はどちらも存在感がありすぎて、どちらの世界もとても好きで、気がつけば全く折り合いがつかなくなってしまっていました。
そもそもこのnoteを始めたときは、「誰かの問題解決の一助になれれば」という意図が少なからずあったため、テーマは「〇〇するには?」とか「なぜ〇〇なのか?」と言ったようなものが多くなっています。
するとそのタイトルを目にするたび、わたしの中のジーナが「野暮なことしてるわねぇ」と囁くわけです。これには参りました。
なにせわたしの中の2人はそれぞれの個性がとても「極端」で、お互いに「程々」が全然分からなかったのです。
そんなわけでこの2ヶ月は「二人の折り合いをつける方法」について試行錯誤していました。
まるで男女関係のようですね。やれやれ笑
さて、その過程で「あ!」となったのが「ヘーゲルの弁証法」です。
なんて言うと一見小難しくてかっこよさそうに?聞こえますが、なんのことはない
「両方のいいとこ取りをしよう」という話です。
それも、
【「ジーナ」➕「アメリカ野郎」➗ 2 】と、
【「ジーナ」✖️「アメリカ野郎」= ♾ 】
の2パターンです。
前者は折り合いをつけるイメージで、後者は
極端なジーナ(複雑性を好む)のまま、
極端なアメリカ野郎(単純さを好む)のまま、
どちらもがそのアイデンティティを押し殺すことなく、それぞれがそれぞれの場所において最大限自分らしさを表現することを許可する、という感じです。
思った以上に長い旅路でしたが、こんな形で決着がついたのでした。
これもまた「C’est la vie(セラヴィ)」と思えば、芳醇な人生の1ページですね、とわたしの中のジーナが言っています笑
やっとこさ第3のマインドに移動した今後のわたしの表現がわたし自身楽しみです^^
以上がタイトルに書いた「野暮な世界も粋な世界もどちらも捨てがたいことについて」のわたしなりの深〜いワケだったのでした。
さて、今後もまたぼちぼち更新していきますので、改めましてよろしくお願いいたします。
※この2ヶ月noteを一切触っていなかったので、フォローしてくださった方やいいねしてくださった方に対して無反応になってしまいました。
せっかく訪問してアクションを起こしてくださったのに本当に申し訳ありません。
これからまた、お互いの「表現の世界」を味わい合えるのを楽しみにしています。
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このnoteでは「マイナスからゼロへ、そして人生を面白がる達人へ」というテーマで自分自身の体験に基づく記事を綴っています。
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こちらものぞいてみてもらえたらとても嬉しいです^^
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