事業の最終的なゴールはメタメッセージを社会に刻印することである
事業を作る上でみんなが大事にしていることはなんだろう。人それぞれ違うのかな。おそらくそうだろう。
私の場合、事業を作る上で重要だと思うことは
「ペインとは何か?に一行で答える」
「ミニマムで検証し、細かなピボットを重ねる」
「PMF達成までにリソース投下し過ぎない」
「ファイナンス的な発想(時間軸のレバレッジ)を持つ」
などなど、沢山あるが
私が一番(重要というよりかは)大事にしたいことは
「メタメッセージを意識すること」である。
ここで言うメッセージは意味みたいなものとして捉えてほしい。
20世紀後半までの、広義の意味での物質革命を終え、マズローの欲求段階におけるベースラインを超える人たちが一定数を超え(もちろんまだまだ一部に過ぎない)たことで、
物質的な「欲望」だけでなく「意味」を消化できる時代がきたのである。
モノからコトへのシフトとか機能価値から体験価値へと言われているのは全部その流れの表層を表す現象に過ぎないし、ストーリーや物語がマーケティング的観点からも重要になってきている(こちら参考までに。良書です。)
というのには、そのような背景がある。
どのようなメタメッセージを社会に発信していたとしても、それは主観と客観が上手く調和し、時代最適な風貌で立ち現れるものだと思っている。そういったものは、文明や文化とは何かを自分の言葉で語れないと作れないし、尊敬する山本義隆氏も言うように、一生勉強し続ける理由みたいなものは全てそこに集約されるのだと思う。
モビリティメーカーがやってることは物質(人間の身体)の空間移動効率化ソリューションだし、かつてmixiとかオンラインコミュニティ系がやっていたこと(今もやっている)と言えば一定空間における感情同士のインタフェース最適化ソリューションだし、ブロックチェーン技術がやってのけたことは情報の(空間位相から時間位相への座標変換による)移転可能化ソリューションである。
あらゆる事業は突き詰めていけば必ず抽象度高い次元でのメタメッセージが存在する。
建築家ブルーノ・タウトが桂離宮に日本美と言うメタメッセージを見出したように(こちら参考までに。良書です。)
事業家も何らかのメッセージを発信したり、見出しているのである。建築史にハマってからのこと、建築家と事業家は非常に似ているところがあるなと思うようになった。
私の場合は、21世紀は「感情」「情報」「時間」そして「私(他者)」の世紀になると思っているので、それらの関係性(インターフェース)をデザインすることを事業を通してやっていきたい。
もちろん意味ばかり追い求めていては、行動できないし(千葉雅也氏が意味と行動については鋭く言及している。こちら参考までに。良書です。)
、意味の切断が行動する上で必要不可欠なこともある。そう言う時は意味を切断すればいい。意味を作りながら、切断するようなアンビバレントな環境に身を置くことこそが悩むことの本質的な価値だと思っている。
まだまだ事業家としての道を歩み始めたばかりだし、抽象よりも99%具体に向き合う日々であるが、
各事業は具体的でミニマムなスタートを切ったとしても、社会に彫刻すべきメタ次元でのメッセージは忘れないように生きていきたい。