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「分かりやすい」ことの罠
今日は、ユーザーフレンドリーであること、分かりやすいことに甘え、自分の読む力、考える力が下がってきているのでは?と少し焦る Kaori です。
私は今、アート思考研究会に所属させていただき、アート思考に関連する書籍の書評を書くというとても貴重な機会をいただきました。
「自分の備忘目的ではない」書評を書くこと自体、初めての経験。
書評を前提に本を読む際の、力の入れ方、抜き方が分からず、通常自分が本を読む以上に、集中して読んでいます。すでに、3周目が終わりそう。
やっと、どういう構成で書評を書くか、その輪郭が朧げながら見えてきて、一安心。あとは、手を動かすのみです。
本を読みながら、今、感じているのが、私は、最近の「読みやすい本」「平易な文章で書かれている本」「最初からハイライトや太字がしてある本」に甘えていたかもな...ということ。
最近、本当に読者フレンドリーな本が多いですよね。
そして、私自身も本屋さんで本を選ぶ時に、パラパラっとめくって、読みやすそうな本、ばかり、結果的に選んでいました。
そして、最初からハイライトがしてある本は、ほぼハイライトの箇所しか読んでいないのかも、という気すらしてきます。
今回、読んでいる本は、その点からすると少し難しい書かれ方をしているのですが、そうすると、時々...「ハイライトしてほしいなぁ...」と思っている自分に気づき「はっ!」とします。
ちょうどアート思考の本を読んでいるので、なおさら、かもしれません。
ビジネスでは「わからない」は悪いこと。でも、現代アートでは「わからない」は良いこと。それは「わからないもの」に接することで、人間は思考が促進される、から。
ビジネスの世界にいる時、特に、自分が発信するものは、確実に「分かりやすいこと」「相手に伝わること」を意識、しなければならない。
ただ、全てに、分かりやすさを求めること、なんでもかんでも、分からないからという理由で、自分の頭で考えることを放棄すること、「分からない」と向き合うことを放棄することは、やめよう、と思う。
そんなことを、モヤモヤ考える月曜日の午後。
それでは、今週も元気に、自分の発信は分かりやすく、でも、私自身は、分からないことにも向き合い、考えることからは逃げない、そんな風に過ごしていきたいです。