見出し画像

うつ病って漫画とかドラマの世界だと思ってた-③高校は卒業できたのか-

 こんにちは。今回は高校は卒業できたのか、今はどう過ごしているのかについて書こうと思います。



高校卒業できたの?

 

 結論から言うと、高校は卒業できました。これは当時の担任の先生に感謝しかありません。その先生は、うつ病というものに大変理解のある先生でした。

 

 私は診断が出た帰り道、母と学校に寄り担任の先生に事情を説明しに行きました。この時頭の中には【退学】という文字も浮かんでいました。何か月も学校を休む、そんなこと経験したことがなかったからです。

 

 しかし、その時の先生は「○○さん、あなたがすっごく真面目なことを知ってる。授業の出席日数くらい何とかなるわよ。授業態度もいいし、赤点もないし。大丈夫。ゆっくり休んでおいで。」と言ってくださったのです。

 

 その言葉に甘えて私は2か月半、卒業式の前日までお休みをいただくことにしました。正直、この時点で卒業式までに症状が良くなるのかは全くわかりませんでした。けれど、やっぱり何か目標があった方がいいのではないかと思いこの日を目指して快復しようと決めました。あ、この説明しに行った場で決めたのではなく、ちょっと心に余裕が出てきた時に決めました。当時はもうほんと、誰かに乗り移られてるんじゃないかって程に自分で思考ができなかったから。

 


 睡眠薬と抗不安薬、2種類のお薬での治療がスタートしました。副作用で、胃が荒れてしまう方もいるとのことだったのですが私は大丈夫でした。食事もろくにとってない生活だったのでお薬を飲む前に一応何か食べる(といっても母に無理やり食べさせてもらう。の方がしっくりくるかな、)習慣になりました。



セカンドオピニオンを。


 あ、そうそう。お薬を飲み始めて、症状が安定してきたころにセカンドオピニオンで別の病院にも行ったんですよ。母の提案で。やっぱ言葉にしては無いけれど、【自分の娘がうつだ】って飲み込むことができなかったんだろうと今は思います。


 けど、その病院は私には合いませんでした。決してその先生が悪いわけではないです。ただ、合わなかった、それだけです。


 というのも、「この紙にね、朝昼晩と気持ちにどんな変化があったのか、気分の浮き沈みね、晴れ・くもり・雨とあるからマークしてくれるかな。それで次の診察の時に持ってきてね。」と言われたのです。


 「今、そういう毎日チェックするとか、そういうのが出来ないから来てるのに。朝も夜も、めちゃくちゃになって、もう自分じゃどうしようもないから来てるのに。」と思い、私は泣いてしまいました。今にして思うと、先生は何人もの患者さんを診るからどんな精神状態で過ごしていたのかを一気に見れる効率のいい方法がこれだったんだろうな、と思います。


 ただダメでした。この人に心は開けない。そう思ってしまいました。なので、なんとなくで診察を終え、形的に次回の予約を入れてもらい、二回目はいきませんでした。もちろん断りの電話を入れて。


 一つ目の病院で、合う先生に出会えてよかったなと思います。合わない先生ばかり続くと初診の度初診の度、一からの説明になるからです。しかも結構な待ち時間。精神的にも身体的にも疲れてかえって病院に行く気力が無くなってしまいそうです。



今現在


 今ですが、地元就職して社会人三年目です。入社して2か月目、環境が大きく変わったことと、はじめての事が盛りだくさんなこともあって再発しました。私は「新社会人で、2か月目で休職かよ。クビだな、これは。」と覚悟しました。ですが、ありがたいことに「会社のことは気にせずゆうっくり休んでね。ほんと、好きなことだけして気を紛らわせてね。」というお言葉をいただきました。びっくりです。頭が上がりません。足を向けて寝られません。

 

 なんとかなんとか症状も落ち着いて、今また穏やかな日々を過ごせています。たくさんの人に心配をかけました。たくさんの人に迷惑を掛けました。それでも、優しく接してくれる人ばかりで、あぁ生きる人生も捨てたもんじゃないなと再確認しています。本当に感謝でいっぱいです。


 長いお話になってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。うつ病のお話はこれで終わります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?